辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

 沙耶は緊張して居住まいを正した。
「二週間前はすまなかった。いろいろ準備してくれてたと思うんだ」
「私はもう気にしていません。それに、すでに謝っていただきました」
「沙耶に寂しい思いをさせたのは悪いと思う。だが、俺は自分の仕事に誇りを持っている。救える命があるのなら、全力を尽くしたいと思っている」
 匠真が真剣な面持ちで言い、沙耶はうなずいた。
「はい。わかっています。そのうえで、私からも言いたいことがあるんですが」
「わかった」
 匠真が緊張したような声で答えた。沙耶は大きく息を吸ってバッグの持ち手を握り締め、まっすぐ彼を見つめる。
「私、匠真さんを支えられるように、医療関係の資格を取ろうかとも考えました。でも、やっぱり今の仕事が好きなんです。好きな仕事で胸を張って、匠真さんの隣に立ちたい。今のままの私じゃダメですか?」
 匠真の表情が怪訝そうに変わった。
「ダメなんて思ったことはない」
「でも、匠真さんは――」
 病院の役に立つ女性と結婚するつもりなんでしょう、とは言い出しにくくて、沙耶は唇を引き結んだ。
 匠真は助手席に体を向ける。
「もしかして、俺の母になにか言われたのか?」
(どうしよう。正直に言ってもいいのかな……?)
 告げ口をするようで沙耶が躊躇していたら、匠真はなにかを察したようにハッとした。
「母からプラチナに行ったと聞いた。そのとき『休日も急に呼び出されるような医者と付き合うのはしんどいって沙耶さんが愚痴を言っていた』と言われたんだが、沙耶も母になにか聞かされたんだな?」
「えっ、私、そんな愚痴、言ってません!」
 匠真は大きく息を吐き出した。
「つまり、沙耶が俺の母から聞いた言葉も、俺が言った言葉じゃない」
「でも、匠真さんは研修医の女性と結婚したほうが病院のためになるって……」
「研修医って……もしかして山根さん?」
「はい」
 沙耶がうなずくと、匠真は右手で前髪をくしゃりとかき上げた。
「山根さんが伊吹会の研修医になったとき、母さんが彼女に『将来は優真と結婚して、うちの病院を継いでほしい』って言ったらしいんだ。あとで彼女は兄さんに『私は父の病院を継ぐつもりなので、いくら院長夫人に言われても困ります。それに、私、心に決めた人がいるんです』って抗議してた。そもそも兄さんも涼花さんと結婚するつもりだったから、母さんをたしなめたんだが」