辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

「おひとりさまでしょうか?」
 沙耶が声をかけると、女性は小さく肩を震わせてうなずいた。
「はい」
「お好きなお席へどうぞ」
「あ、はい。じゃあ……」
 女性はカウンター席の隅に向かった。匠真が普段座る目立ちにくい場所だ。女性は椅子に座ってコートを脱ぎ、バッグと一緒に足元の荷物カゴに入れた。そうしながらも、相変わらずなにかを探しているかのように目を動かしている。
 沙耶は水の入ったコップと紙おしぼりを女性の前に運んだ。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びくださいね」
 沙耶が言ったとき、女性は沙耶の背後のキッチンを見て、「あっ」と小さく声を発した。沙耶が振り返ってみたら、アキコが鼻歌を歌いながら、シンクの食器を食洗器に入れている。
「あの、店員さん」
「はい」
 女性は声を潜めて言う。
「私、あそこの……キッチンにいる村井(むらい)明子(あきこ)の娘なんです」
「アキコさんの」
 沙耶はキッチンに顔を向けた。アキコは細身で、女性はややふっくらしているものの、言われてみれば面立ちが少し似ているような気がする。
「突然来てすみません。母がご迷惑をおかけしてないでしょうか?」
 女性が心配そうに訊くので、沙耶は安心させるようににっこりと微笑んだ。
「いえ。いつも明るくて率先して動いてくださるし、お客さまにも積極的に声をかけてくださって、とても助かっています」
「ほんとですか?」
「はい。本日のお薦めはアキコさん特製のオムライスですよ。私もランチにいただいて、とてもおいしかったです」
 女性は恐縮した様子で答える。
「そ、そうなんですね。それじゃ、オムライスをお願いします」
「かしこまりました。あの、アキコさんに娘さんが来ているとお伝えしても構いませんか?」
 女性は気恥ずかしそうにしながらも首を縦に振った。
 沙耶はキッチンに戻って、食洗器に食器を入れていたアキコに声をかける。
「アキコさん、娘さんがいらしてますよ。特製オムライスを注文されました」
「ええっ?」
 アキコは驚いた顔で客席を見回し、カウンター席に娘の後ろ姿を見つけて「あら、まあ」と声を上げた。