~代官山リアル・ラブストーリー~

 新しいゲームを起動した。
 画面いっぱいに代官山の夜景が広がる。
 『代官山リアル・ラブストーリー』──恋愛シミュレーションの新作だ。

 私はワクワクしながら「スタート」を押す。

 プロローグは、会社員のヒロインが突然路頭に迷うところから始まった。
 夜の街をさまよい、車のライトに照らされて──「危ない!」
 助けてくれたのは、スーツ姿の男性。
 彼がこのゲームのメイン攻略キャラ。

「怪我はないか? ……そうか。じゃあ、ウチに来い」

 拾われたヒロインは、彼の会社に雇われる。
 その後、兄弟や友人、秘書たちとの出会いが描かれてプロローグが終わった。

 キャラ選択の画面。
 私は軽く息をついてつぶやく。

「とりあえず最初だし……メインキャラにしよ」

 選んだのは、キャラ1──蓮。

 ──ヒロインは彼の身の回りの世話係として、社長室で働きはじめる。
 コーヒーを淹れたり、書類を並べたり。
 あまりにも簡単な仕事ばかりで、彼女はつい考える。

「こんなに楽でいいのかな……」
 そのとき、ふと視線を上げると── キャラ1が窓際に立っていた。

 その横顔は、まるで彫刻のように整っていて、冷たいのに、どこか儚い。
 目元の影が深く、睫毛の長さが不自然なくらい美しい。

「いいんだ。怪我してるんだから」
 彼がそう言って、視線を窓の外に向ける。

 その声は低く、静かで、耳に残る。
 まるで、夜の空気に溶けていくような響きだった。

 彼の美しさは、派手さではなく、沈黙の中にある。
 見つめるほどに、心が静かになっていく。

「そうは言われても、何かしなくちゃ」

 だけど、彼女が少しでも自分の判断で動こうとすると、必ずトラブルが起きる。
 女性社員に責められ、落ち込むヒロイン。
 そして──

 「どうして君は、いつも無理をするんだ」

 画面には3つの選択肢。
 ①謝る ②言い訳する ③黙る

 私は迷わず①を選んだ。

 ──ピロン。
 『信頼度 -10』

 「え、下がるの!?」

 思わず声が出た。
 現実の時計を見ると、もう0時。慌ててゲームを終了し、眠りについた。


 ……翌朝。

 会社に着くと、なんだか様子がおかしい。
 オフィスの照明が消えていて、ガラスの向こうは真っ暗。
 鍵を回そうとしても、びくともしない。

「え……?」

 そこへスーツの男たちが近づいてきた。

「何してんだ、あんた? その会社、倒産したぞ」

 倒産。
 頭の中で、その言葉だけが反響する。

 上司に電話をしても繋がらない。
 仕方なくアパートに帰ると、玄関前には黄色いテープ。
 立ち入り禁止、と書かれている。

「ちょ、ちょっと待ってください。私、ここの住人で──」
「管理会社も倒産してます。中の確認には時間がかかります」

 警察の声が遠くに聞こえた。

 節約のため、私はネットカフェに泊まり、再就職先を探し始めた。
 だけど、疲れが少しずつ溜まっていく。
 ご飯も簡単なもので済ませて、いつの間にか昼と夜の区別が曖昧になった。

 そしてある日。
 ぼんやりした頭のまま、外に出た。

「なんか、ふらふらする……」

 視界が歪んで、足が車道に出た瞬間──
 クラクションが鳴り響く。

「危ない!」

 誰かに腕を掴まれ、体が引き寄せられた。
 そのまま強く抱きとめられ、私の頬をかすめる風が止まる。

「大丈夫ですか?!」

 顔を上げると、黒いスーツの男がいた。
 整った横顔。聞き覚えのある声。

「……?」

 彼は眉を寄せ、私を抱き上げる。

「すぐ病院に行きましょう」
「え、でも、たいしたことないし──」
「黙って。今、助けたばかりなんだから」

 彼は強引に私を自分の車に押し込んだ。



 診察を終えて、白いカーテンの向こうから医者の声がした。
「軽傷ですね。しばらく安静にしていれば大丈夫ですよ」

 私はほっと息をついた。
 ──本当に、死ぬかと思った。

 会計を済ませて出ると、待合のソファに男──雪澤 蓮(ユキザワレン)が座っていた。
 白シャツの袖をまくり、スマホを片手にしている。
 まるで時間ごと切り取られたように、静かな横顔だった。
 美しさに一瞬、見惚れそうになるが、それどころではない。

「軽傷だそうです。ありがとうございました」
「それはよかった。自宅まで、お送りします」

 当たり前のように言われて、思わず首を振った。
「いえ、あの、家に……実は入れなくて。危険な薬品がバラ撒かれたらしく、警察が調べてるんです。今はネットカフェに」

 少し間を置いて、蓮がこちらを見る。
「ネットカフェ?」
「管理会社も倒産してて。荷物を受け取るのにも3日くらいかかるそうです。なので、それまで」

 蓮は一瞬だけ考え、低い声で言った。
「……うちで良ければ」
「え」

「誤解しないでくれ。2人きりじゃない。手伝いもいるし、部屋に鍵もついてる」

 あまりにも現実味がなくて、思わず笑ってしまいそうになった。
 けれど彼の表情は真剣そのものだった。

「ありがたいんですが、そこまでお世話になるわけには……本当に大丈夫です」
「そういうわけにはいかない。──会社ならどうだ? 仮眠室を使ってもらえないか」

「でも……お邪魔でしょう」
「社外秘に触れなければ問題ない。いっそ、あなたがうちの社員になってくれれば互いに気兼ねしないのに」

「え」

 蓮は穏やかに微笑む。
「今の会社は失礼ですが、給料はいくらですか? できるだけ譲歩します」

 私は、頭が追いつかなかった。



 リヴァース社・代官山オフィス。
「今日から我が社の一員となった有山 真麻(アリヤママアサ)くんだ」
 蓮の声が会議室に響く。
「この業界は初心者なので、まずは俺の身の回りのことをやってもらう」

 拍手がぱらぱらと起きた。
 私は小さく頭を下げて言う。
「よろしくお願いします」


 社長室。
「私は社長秘書の東雲 理央(シノノメリオ)です。仕事の質問は私にしてください。社長の手は煩わせないように」
「は、はい」

 静かで、整った人だった。目の奥が少し冷たく見える。
 白いシャツの襟元まできちんと揃えられ、指先の動きまで無駄がない。
 目の奥が少し冷たく見えるけれど、それが逆に美しさを際立たせていた。
 まるで、ガラス細工のように繊細で、触れたら割れてしまいそうな静かな威圧感。

 すると、明るい声が割り込んできた。
「そんな~眉間に皺寄せるのやめなよ~。老けるよ~」

 柔らかい茶髪の男性が立っていた。
 肌は明るく、笑顔の輪郭がやけに綺麗で、まるで光を纏っているみたいだった。
 彼が動くと、空気が少しだけ軽くなる。
 その存在感は“美形”というより、“場の空気を整える美しさ”だった。

「僕は朝比奈 光(アサヒナヒカル)ピカルンって呼んで」
「え、それは、ちょっと……」
「気にしなくていい」
 蓮が淡々と言う。
「この2人は幼馴染みだから適当でいい。光は朝比奈建築の所属で、ゲームのデザインの打ち合わせでよく来る」
「はあ……そうですか」

 すると今度はドアの外から別の声。
「俺は悠真(ユウマ)雪澤 蓮の弟だ。──俺はあんたなんか認めない」
「え?」

 声の主は、蓮より少し若く、目元に火花のような鋭さがあった。
 顔立ちは兄と似ているのに、感情の起伏がそのまま表情に出るタイプ。
 その分、目の輝きが強く、言葉に熱がこもる。
 “美しさ”というより、“若さの危うさ”が魅力になっていた。

 朝比奈が苦笑する。
「気にしなくていいよ~。ブラコンだから。兄に近づく女は皆、威嚇するんだよ~」
「誰がブラコンだ?!」
「誰かな~」

 あまりにテンポのいい掛け合いに、思わず吹き出してしまった。
「フフッ……」

「「「「……笑った」」」」
 蓮、東雲、朝比奈、悠真──全員が同時にこちらを見ていた。

 それぞれ違う“美しさ”を持っているのに、並ぶと妙に調和している。
 まるで、違う色の光がひとつのプリズムに集まったみたいだった。

「え、すいません」
「んーん、笑うとカワイー」
 朝比奈が嬉しそうに言う。
「そ、そうですか」

「ねぇ、この中で付き合うなら誰がいい?」
「え」
「いいから。もしもの話。言わないと部屋から出してあげない」

「……私も社会人なので、ここは社長と答えますよ」
「なんだー、大人かー」

「さあ、仕事しますよ」
 東雲がきっぱりと言い、空気が締まった。




「有山さんは、この社内マニュアルを読んでいてください」

 東雲さんの声は、いつも通り落ち着いていた。
 私はマニュアルの厚みを見つめながら、内心でため息をつく。

「あの……」
「はい?」
「これ、読むの3回目なんですが……他にすること、ないんですか?」

 自分でもちょっと図々しいかなと思った。
 でも本当に、座って読むだけなのは、退屈すぎた。

「そう言われましても、足に怪我してるでしょう。社長から、無理をさせないように言われてますので」

 そう言われてしまえば、何も言えない。
「……そうですか」

 私は小さくつぶやいて、マニュアルを閉じた。
 だけど、ただ座っているのはやっぱり落ち着かない。
 少しくらい役に立ちたい。せめて整理くらいならできる。

 そう思って、社長室の棚に積まれた書類に手を伸ばした、その瞬間。

「ちょっと、有山さん。勝手に触らないでください!」

 振り向くと、桐谷 美波(キリタニミナミ)が立っていた。
 ピンヒールを鳴らして近づいてくる姿に、息が詰まる。

「す、すみません、あっ──!」

 驚いた拍子に、手のカップが倒れた。
 茶色い液体が机の上に広がり、書類に染みていく。

「何やってるの?! 信じられない」
「すみません! でも、散らかっていたので……」
「社長の机に触るなんて、非常識にもほどがあるわ」

 社長室の空気が一気に凍りついた。
 まるで冷房の温度が数度下がったみたいに。

 そこへ、扉が開く音がした。
「どうした?」

 雪澤 蓮──社長。

 桐谷さんがすぐに声を上げる。
「この新人が大事な書類にコーヒーを!」
「……じっとしてるように指示したはずだが?」

 低く静かな声。
 私は言葉を探したけれど、喉がひゅっと塞がった。

 その瞬間、頭の奥に強烈なフラッシュが走る。

 ──この光景。知ってる。
 前にも、同じようなことがあった。

 ゲームの中で。
 代官山リアル・ラブストーリーの中で、主人公がキャラ1に怒られるイベント。まさにこのシーンだ。

「有山さん?」

 社長の声が、遠くに聞こえる。
 雪澤 蓮。
 この人、本当に……あのゲームのキャラ1と同じ?

 まさか。そんなこと。
 でも、ここまで一致しているなんて。

「どうした? しっかりしろ」

「あ、え、その、す──」
 ダメだ。謝っちゃダメ。

 ゲームでは「謝る」と好感度が下がった。
 残りの選択肢は──「役に立ちたかった」か「逃げ出す」。

 逃げる? でも、社会人としてそれはない。
 だったら……。

「役に立ちたかったんです」

「なに?」

 え、間違った? 逃げるが正解だったの?
 いや、ゲームと現実は違う。
 現実の社長に“逃げる”なんて、ありえない。

「せっかく拾っていただいたので、役に立ちたいと思いました。
差し出がましい真似をして、申し訳ありません」

 あ、やっぱり言葉が重い。
 もうダメだ。初日でクビかもしれない。

 けれど蓮は、意外にも穏やかな声で言った。
「……いや。君の気持ちを省みず、悪かった」

「社長!」
と桐谷さんが抗議の声を上げる。
 しかし、蓮は落ち着いたまま言葉を続けた。
「書類の原本はPCに入ってる。もう一度コピーすればいい。有山くんは、悪いがデスクを片付けてくれ」

「……はい」




 就業後。
 ひとり、仮眠室で荷物をまとめていると、ドアがノックされた。

「そこのベッド、固くて疲れないか?」

「え、社長? いえ、平気です」
「うちの客室なら、もっと柔らかい」
「でも……」
「ついでに食事でもしないか。入社祝いだ」

「……ありがとうございます」

 どうしてだろう。
 こんなに気を遣ってくれるのに、胸がざわつく。
 やっぱり、どこか“ゲームの中”みたいに感じるからだ。



 広すぎるエントランスに足を踏み入れた瞬間、現実感が少しずつ失われていった。
 まるで、背景が描き込まれたCGのステージに立っているみたい。

「お食事の支度が整うまで、先に入浴をどうぞ」
 家政婦さんに案内され、私は浴室に向かった。

 湯船は信じられないほど広くて、香りのいい湯気が立ちのぼっている。
 ゆっくりと肩まで浸かり、ようやく息をついた。

 ──コポコポコポ……。

「え?」
 排水の蓋のあたりから、変な音がする。
 手を伸ばして外すと、水面がブクブク泡立ち始めた。

「ん?」

 次の瞬間、勢いよく水が逆流した。
「きゃあああっ!」

 滝のように吹き出したお湯が浴室を満たしていく。
 慌てて立ち上がったとき、ドアが開いた。

「どうした?!」

 蓮が飛び込んできて、目を見開いた。
 私はびしょ濡れのままタオルを探して右往左往。

「み、みみ、水が急に──!」

 蓮は慌てて後ろを向き、壁のフックからタオルを取った。
 そして視線を逸らしたまま、後ろ手に差し出す。

「ギョウシャヨブ」

 低く短い声に、なぜか笑いがこみ上げてきた。
 この人、本当に不器用だ。
 ゲームよりずっと、優しい気がするのに。



 あー疲れたー。もう寝よう。
 そう言って布団に潜り込んだ瞬間、意識がふっと落ちた。
 昨日の水浸し事件と、あの社長の背中が交互に浮かんでくる。……ま、明日考えよう。
 何か大事なこと、忘れてる気がするなあ。


 翌朝。
 頭の片隅で、もやっとした違和感を抱えたまま顔を洗っていると──。

 ピンポーン。

「悪いが、手が離せない。対応してくれ」
 キッチンの方から蓮の声。
 朝って家政婦さんいないのね。
 仕方なく玄関に向かい、インターホンを押すと、下の階の住人らしき老紳士が立っていた。

「実はうちの排水が詰まりましてね……」
「ああ、そうでしたか。少々お待ちくださいね」

 そうだ、昨日の逆流。あれ、下の階にも被害が出てたんだ。
「社長、下の階の方が……」
「わかった。一緒に行こう。実害を受けたのは君だ」

 そう言われ、私も一緒に下へ。
 老夫婦の部屋は思った以上に広く、クラシック音楽が静かに流れていた。
「まあまあ、お2人とも仲がよろしいのねぇ」
「え? あ、いえ、ちが──」
「遠慮なさらずに。あら、お若いご夫婦にぴったりなチケットがあるの」
 差し出されたのはオペラのペアチケットだった。

 ──どうやら、完全に夫婦と思われているらしい。


 出社すると。
「今日は余計なことしないでください」
 東雲さんに釘を刺される。
「そうよ!」桐谷さんまで乗っかってくる。
「はい……」

 その時、蓮が静かに言った。
「いや、企画書を作ってくれ」

 一同の空気が一瞬で固まる。

「あの、私、庶務課だったんですけど……」
「むしろその方がいい。専門家は知識が偏ってる。君は自主的に何かしたいタイプらしいから、ピッタリだろ」

 褒められてるのか、それとも嫌味なのか。

「はあ……何の企画書ですか」
「もちろんゲームだ。内容は一任する。使えない企画なら容赦なく没にする」

 ……容赦なく。
(わー、プレッシャー)



 私が考えた企画はこうだ。



ゲーム企画書:病院ダンジョン

**キャッチコピー**
君はこの病棟から脱出できるか

**ゲーム概要**
ジャンル:ホラーアクションRPG
プラットフォーム:スマホ/PC
プレイ人数:1人
対象層:ホラー好き、脱出ゲームファン
プレイ時間:1ステージ約15分、全10ステージ構成

**コンセプト**
プレイヤーは入院した伯母の見舞いに来たら未明のウイルスで院内パニック!
緊急封鎖された。
幽霊とゾンビが徘徊し、医療器具や薬品を使って戦いながら、病棟の謎を解いて脱出を目指す。

**ゲームシステム・ルール**
- ステージ制の探索型アクション
- 武器:注射器、メス、AEDなど病院ならではのアイテム
- 敵:幽霊(精神攻撃)、ゾンビ(物理攻撃)
- 回復:薬品や休憩室での仮眠
- 謎解き:カルテ、レントゲン、患者の記録などを使って病棟の秘密を解く

**セールスポイント**
- 医療アイテムを武器にするユニークな戦闘
- ホラー×謎解き×脱出の三重構造
- ステージごとに異なる病室のギミックと敵の個性




 書き上げて提出すると、東雲さんと社長が揃って無言になった。
「……そんなに変ですか?」
「いや……才能ある」
「え?」
「凄い才能だ」

 ……社長が褒めた。あの社長が。
「それじゃ、採用ですか?」
「だが今回は使えない」
「え?」
「ターゲット層を広げたいんだ。F2層を取り込みたい。これだと既存のユーザーにしかウケない」
「先に言ってくれれば良かったのに」
「すまない。まったく期待してなかった」

 ──はい、やっぱりオチがあった。



 帰り道、蓮が運転していた。
 夜の街を滑るように走る車の中、私は助手席で頬を膨らませていた。

「まだむくれているのか」
「別に」
「君のいた会社は適材適所を誤ったから倒産したんだ。俺は違う」
 横顔のまま淡々とそう言う。

「そうですね……」
 一拍置いて、笑ってみせた。
「そう願います」

 窓の外では、夜景の光がゆらゆらと流れていた。
 ──まるで、現実とゲームの境界線が、少しずつ溶けていくみたいに。

 客室のベッドに腰を下ろし、私は大きく息をついた。
「ふう……何か企画のヒントになるもの、ないかな」
 スマホをいじりながら呟く。

 けれど、スクロールする親指はすぐに止まってしまった。

 って言っても、私がやったことあるゲームなんて──乙女ゲーム、ドラクエ、ぷよぷよ、桃鉄くらい……。

 自分で思って、ちょっと笑ってしまう。これで“ゲーム企画書”なんて作れるのかしら。

「F2層って、何してるんだろうな……」
 ぼんやり呟いたとき、指先がふと止まった。

 ──見覚えのあるアイコン。

「代官山リアル・ラブストーリー」

 そうだ。途中までやって放置してた。

 起動してみる。
 ……やっぱり。
 画面の中の攻略キャラ、どう見ても“蓮たち”に似ている。いや、似てるどころじゃない。
 設定も、名前も、雰囲気も、セリフ回しまで──そっくり同じ。

「これ……」
 息を呑む。
 続きをタップすると、ゲーム内でキャラ1のマンションの風呂場で逆流するイベントが発生。

「えっ?!」
 思わず声が出た。
 昨日、私が体験したばかりのあの“水浸し事件”。

 まさか……まさか。

 ゲームを進めると、次の選択肢が現れた。

 1:病院ダンジョン
 2:代官山リアル・ラブストーリー
 3:悪役令嬢無双

 うそ……嘘でしょ? 嘘って言ってよ!

 私は震える指で“1”を押そうとして、ふと止まった。
 “2”をタップする。このゲームのタイトルだ。

 すると、画面の中の蓮が満面の笑みを浮かべた。
「これだ。この企画でいこう! よくやった、□□」

 ……鳥肌が立った。

 嘘でしょ?! 今の世界がゲームの中ってこと? それとも連動? 予知? 何なの……怖い、助けて!

 大学時代の友達に電話しようとしたけれど、途中でやめた。
 こんな話、信じてもらえるわけない。むしろ病院に入院させられるかも。

 ──じゃあ、誰に相談すれば?

 考えた末に、私はチャットAIを開いた。

「『代官山リアル・ラブストーリー』というゲームと現実が同じです。攻略キャラそっくりの人達に囲まれています。怖い」

 AIの返信はすぐに来た。
《落ち着いてください。状況を整理しましょう。調べましたが、『代官山リアル・ラブストーリー』というゲームは存在しません。プレイ中のゲームの発行元を教えてください》

 アプリ情報を開く。

 ──発行元:リヴァース。

 私は息を呑んだ。
 リヴァースって……今、私が働いている会社の名前じゃない。

 代表取締役:雪澤 蓮。

「……そんな……」

 AIが続ける。
《リバースが出しているゲームはRPGが中心で、女性向けシミュレーションゲームは1つもありません》

 手が震えた。
「どうしよう……どうしたらいいの……こ、ここはどこなの……?」

 AIの文字が淡々と浮かぶ。
《落ち着いてください。もしゲームと現実が連動しているなら、ゲームを先に進めれば、この先のことがわかるはずです》

 ……確かに。
「そう、だよね。それは確かに、そう……でも、見るの怖い……でも、ここで震えてても何も変わらない」

 私は課金ボタンを押し、徹夜でゲームを進めた。


 ゲームの中では、ヒロインが35歳設定の「代官山リアル・ラブストーリー」がヒットしていた。
 ヒロインとキャラ1(蓮)の仲は深まり、やがて同居へ。
 1度は自宅に戻ったヒロインも、ストーカーや放火事件に巻き込まれ、結局キャラ1の元に戻る。

 そして、結婚。

 ──だが、式の直前、元婚約者の女性が現れる。
「彼、酷い性癖があるの。気をつけて」

 そんなこと、あるわけがない。
 ヒロインはキャラ1を信じ、結婚する。

 ……ノーマルエンド。

 結婚後、キャラ1は隠していた性癖を露わにし、さらに「子供ができないこと」を理由に一方的に離婚を迫る。
 ヒロインが裁判を起こそうとすると、仕事を奪われ圧力をかけられる。

「……え、ノーマルエンドでこれ?」

 私は声を失った。
「バッドエンドなら、どうなるの……? 殺されるんじゃ……?」

 スマホを持つ手が、もう止まらなかった。
 現実とゲームの境界線が、じわじわと崩れていく。
 まるで、どちらが“本当”なのか、わからなくなっていくみたいに。




 企画書、代官山リアルラブストーリーを出せば蓮の好感度は上がる。逆に悪役令嬢無双を出せば下がる。
 バッドエンドは……バッドエンドも見ておくべきかな。今日帰ったら、いや、今日は寝ないと。
 休憩時間にバッドエンドを確認しよう。

「はあ……」

「あまり思い詰めなくていい」

「きゃっ」

 突然声をかけられて、心臓が跳ねた。
 振り返ると、そこにいたのは蓮。
 考え事に夢中だった。会社で何をしてるんだ。

「ああ、驚かせてすまない」

「いえ、こちらこそすみません」

「今日よければ……クマが酷い。眠れなかったのか」

「え、あ……」

 誰のせいだっての。本当のことは言えないけどさ。

「えっ」

 そんなことを心の中で毒づく間もなく、蓮は私を軽々と抱き上げた。
 社長室の奥、仮眠スペースに連れていかれる。

「あ、あの……」

「業務命令だ。眠れ」

 そう言い残して、彼は静かにドアを閉めた。

 あんな素敵な人が、本当にあんなモラハラなの……?

 ──気づけば、ぐっすり寝ていた。
 起きると窓の外はもう夕焼け色だった。

「す、すみません!」

「俺が眠るように命令したんだから、何も問題ない。それより、よく寝たか?」

「それはもう。これからちゃんと8時間働きます」

「そうか。なら外へ出るから準備を。そのまま帰るつもりで」

 連れて行かれたのは、まさかのオペラ劇場。
 演目は──『椿姫』。

「あの、私……寝て起きて、ご飯食べて、オペラ見てるだけなんですけど、今日」

 蓮は笑った。

「俺は、そんな君を見てすごく癒された」

「……そうですか」



 夜、蓮のマンション・客室。
 私はベッドに腰を下ろし、スマホを手に取った。

 さあ、今夜はバッドエンドを見よう。

 しかしアプリを開くと、そこに蓮の姿がない。

「えっ?! どういうこと?!」

 ゲームを起動すると、初期画面に戻っていた。
 プロローグが流れ、最初に登場したのは──キャラ2・東雲。

「キャラ選択……どうしよう。東雲さんルートなら、社長も出てくるよね」

 私は迷いながらも、キャラ2である東雲を選んだ。

 ──ゲームの中。

 社員寮で、ヒロインはキャラ2と隣同士で暮らす設定。
 ネットスーパーから届いた食材で肉じゃがを作り、テーブルを整えると──

「美味しそうですね」

「ひっ!」

「おや、そんなに驚きました?」

 彼はクローゼットを指差した。

「あれ、続き扉なんです。昼間、業者を手配して壁を取り払っておきました。これから仲良くしましょう、隣人同士」

(まじで? まじなの?)


 翌朝。
 目を開けると、ベッド脇に腰かけたキャラ2が、じっとヒロインを見下ろしていた。

「ひっ」

「あ、起きました? 昨夜は相伴に預かったんで、朝食は私が用意します」

(やばい、やばいって。完全にストーカー化してる)

 ゲーム内の会社パート。
 新たな企画の選択肢が出た。

1一休令嬢とんちで婚約破棄を撃破
2男子用乙女ゲーム
3うっかり七兵衛、悪役令嬢に転生す

(選択肢が変わってる……ああ、そうか。東雲の好感度を上げるには、この中のどれかを選べばいいのね。
あれ? でも好かれない方がいいのでは? これ以上好感度が上がると、ストーカーがエスカレートするのでは?
彼は知的だから……2が一番ダメそうかな)

「とてもいい企画です」

(えええええ?! 2を選んだら好感度上がった?!)

「広告に経費をかけずとも話題になりますし、既存のユーザーにも刺さりますから赤字にはなりません。初期作としてはいい選択です」

(まじかああああああ……!)




「言ってくれれば良かったのに」

 え? いきなり何?
 現実世界で出社すると、蓮が腕を組んで言った。

「水くさいよ~」
と、朝比奈。

「イヤだー、東雲さんと付き合ってるくせに♡ ずっと初めて会ったみたいな顔してて♡」
 桐谷まで。

「え、えええええ!」
 私の声が裏返る。

 そこへ、本人登場。
「警察に問い合わせたら『荷物移動していい』ということだったので、運んでおきました。寮に」

「えええええええええ!!」

 笑顔で淡々と爆弾を投げてくる東雲。

 その隣で悠真が小さくうなずいた。
「兄に悪い虫がつかなくて良かった」

 ……誰の話? 私のこと? え、兄?  待って、やめて、全員怖い!



 ──バンッ。
 私はトイレの個室に逃げ込んだ。

 東雲はヤバい、東雲はヤバい、東雲はヤバい。悠真は婚約者がいるから無理。
 ……もう、朝比奈しか残ってない!

 アプリを開き、慌ててルート変更を押す。
 業務中なので、音を立てないように。

 ──ジャー。

「ふう……」

 水の音に紛れて、ため息をついた。



 ──社長室。

 企画書、男子用乙女ゲームにしよう。
 それで東雲の好感度が上がっても、もう違うルートだから関係ないし。社長の家からも出たし、朝比奈は別の会社だし。
 東雲の言う通り、コスパ考えたらこれが1番安全。

 私はキーボードを叩き、企画書のタイトルを打ち込む。




ゲーム企画書:男子用乙女ゲーム

**キャッチコピー**
男だから男心がわかる

**ゲーム概要**
ジャンル:逆転乙女×無双アクションADV
プラットフォーム:スマホ/PC
プレイ人数:1人
対象層:乙女ゲーム好き男子、メタ系恋愛ゲームファン
プレイ時間:1ルート約30分、全5ルート+隠しルートあり

**コンセプト**
プレイヤーは“魅了”という特殊体質を持つハイスペック女子。
彼女に惹かれた攻略対象やモブ男子たちが次々とアプローチしてくるが、 その愛情は時に暴走し、執着、嫉妬、狂気へと変貌する。
プレイヤーは物理・精神スキルを駆使して彼らをなぎ倒し、 真にふさわしい“最強の男”を見極めて選び取る!

**ゲームシステム・ルール**
- ステージ制の無双アクション+選択肢付きADV
- 魅了ゲージ:高まるほど敵が増えるが、スキルも強化
- 攻撃手段:言葉責め(精神攻撃)、ビンタ、ハイヒールキックなど
- 攻略対象:幼なじみの生徒会長、腹黒アイドル、武闘派教師など個性派揃い
- サービスシーン:着替えやスキンシップイベントあり(演出はギャグ寄り)

**セールスポイント**
- 乙女ゲームの“受け身ヒロイン”像をぶち壊す、攻めの主人公
- 男性プレイヤー視点でも楽しめる恋愛×バトルの融合
- 攻略対象だけでなく、モブ男子にも個別エピソードあり
- 選択肢次第で“真の愛”か“全員撃退”のマルチエンディング



 印刷した瞬間、蓮が入ってきた。

「次の企画会議に出す。悪くない」

 すぐ後ろから東雲の声。
「いえ、幅広い支持層を考えれば、これ以上はないかと。話題性も充分です。開発費も広告費も、さしてかからない」

「話題性は確かに。しかし主力にはならない。
悪いが、もう2~3考えてくれないか。今すぐ商品化しなくても、いずれ使うかもしれない」

「わかりました」

 ああ、またフラグ立った気がする……。



 終業後。
 ロビーを出たところで肩をポンと叩かれた。

「お疲れ~迎えに来たよ」

 朝比奈さんが笑顔で私の荷物を取ってくれた。

「??」

「なになに~? 今朝『東雲っちと付き合ってる』って、皆でからかったから怒ってるの?」

「え、どういう」

 からかう? ルート変更したから、そういう設定になったの?

「わかってるよ。君の本命は僕だろ、マイハニー。寮まで送って行くからね」

 バチンとウィンクした。



 並木道を走る車内。

「イタリアンと和食どっち? まさか中華かフレンチ? どれでもいいけど」

「あの……」

「なるほど、多国籍料理ね。OK」

 朝比奈はノールックでスマホを操作しながら、レストラン予約。

 さすが遊びなれている。




 レストラン。
 朝比奈は大きなロブスターを、あっという間に取り分けながら言った。
 給仕は邪魔らしい。

「何が聞きたい?」

「え?」

「ずっと奥歯に何か挟まってるような顔してるから」

「……生まれつきだったら、どうするんです?」

「僕は女の子の“そのへん”間違わないんだよ」

「朝比奈さんは、ゲームの開発には関わってないんですよね?」

「ピカルン」

「……」

「ないよ。デザイナーだもん。でも──蓮に聞きにくいことを、僕が代わりに聞くことはできるよ」

 私は口を開きかけて、閉じた。

 待って。この流れ……多分ゲーム上の選択肢だ。だとしたら、ゲームを先にやって答え合わせした方が安全では? 社長の性癖とか、東雲のストーカーみたいに、この人も“何か”あるかもしれない。

「そうだね。秘密を打ち明けるには、僕たちはまだ関係が浅いね」

 朝比奈が微笑む。
「明日から君の部屋で暮らすよ。よろしく」

「っ?!」




 真麻の寮の部屋。

「待って、帰らないで」

「君みたいな、おしとやかな女性に積極的に来られるのは悪くないね」

 クローゼットを開ける。
 ……通路になってない。ホッとする。

「どうした? 急に」

「い、いえ」

「まさか、ストーカーにでも遭ってる?」

「これから遭う予定でした」

「なんて?」

「忘れてください。
今日は、どうもごちそうさまでした。送ってくださって、ありがとう」

「お茶も入れてくれないわけ?」

「夜に一人暮らしの女性の家にいるのは、どうかと思います」

「はいはい。ちょっと期待したのに」

 笑顔のまま出ていく朝比奈の背中を見送りながら、私は安堵の息を吐いた。




 寮のソファーに腰掛け、スマホを手に取る。
 今夜は、朝比奈(キャラ3)ルートを進めるのだ。

 やはり、先ほどのレストランの会話は選択肢だった。

1「頼ってもいいでしょうか」
2「まだ出会ったばかりなので」
3「悩みなんてありません」

 迷った末、私は2を選択する。
 正解だった。

 彼は自分を軽く見せるけれど、軽い女は嫌いなのだ。
 1を選んでいたら好感度は下がっていた。……さっき何も言わなくて良かった。

 ゲームは、その後も淡々と進む。
 普通の乙女ゲーム……だと思っていた。

 しかし、突然。

「なんでノーマルエンド?!」

 画面に浮かぶ文字はノーマル。

「ほとんど正解したはず……」

 そして気づいた。

 彼はラスボスだ。
 攻略が難しく、1つでも不正解だとハッピーエンドにならない。

 鳥肌が立った。
 ──1番簡単そうに見えたのに。

 ゲーム内ノーマルエンドでは、幸せな結婚式のあと、新婚旅行へ向かう。
 だが、なぜか悠真の婚約者も同行していた。

「どういうこと?」
「……あー、僕たち幼馴染みだから」

 えええ……幼馴染みだからって、新婚旅行についてくる?

「気に入らないなら帰れば?」
「っ?!」

 あっさり、成田離婚で幕を閉じた。




 ──現実。

 社長室に入ると、悠真がデスクに座っていた。

「おはようございま──」
「おはよう」

 その視線の先に、蓮は不在。

「社長は?」
「兄は本社に戻った」
「本社?」
「買収したんだ、リヴァースを。雪澤コーポレーションが。今日からこの会社の社長は俺だ」

「っ?!」

 悠真がニヤリと笑う。

「君は、そうだな……俺付きの……ペットということにしよう」

 この兄弟は、どちらも……。

 息を整え、私は軽く頭を下げた。

「少し失礼します」



 トイレの個室。
 スマホを開くと、トップ画面には悠真=キャラ4しか残っていなかった。
 自動的に、悠真ルートに入っている。

「はあ……」

 ゲームを進めるとキャラ4も、現実同様リヴァースの社長になっていた。
 休日は移動した荷物を整理するのに、時間を使ってしまった……。ゲームを続ければ良かった。そうすれば、悠真について先手を打てたろう。

 だが、就業中に最後までプレイすることはできない。
 ため息をつき、社長室に戻る。




「おい」
「はい?」

「肩を揉め」
「……はい」

 デスクに近寄って揉む。
 悠真は、にらむような視線を向ける。

「何が不満だ? お前も兄がいいのか」
「別に……まだ24歳なのに肩が凝るのかと」
「こ、子供だと思っているのか?!」
「思われたくて声を荒げているのですか」
「……」

 言葉が途切れた。




 夜、ベッドの上。
 再びスマホを手に取る。
 悠真=キャラ4ルートを攻略する。

 ……これ、どうなるんだろう?

 私は、小さな声でつぶやいた。
 不安と共にゲームを進める。
 しかし──

「ん……?」





 現実世界、社長室。

「おい」
「……」
「おい、聴こえないのか!」
「……」
「な、なんだ急に?」

 私は無視してPCに向かう。

「どうしました? 社長がお呼びです」
 東雲が控えめに声をかける。

「私は“おい”という名前ではありません」

 悠真が驚きの声を上げる。
「なっ……」

 私は知らん顔で画面に集中した。



 1時間後、会議室。
「これより企画会議を始めます。今回は有力な企画が多数あり、お手元の資料を──」
 桐谷が説明を始め、一同は頷きながら資料に目を通す。

 いくつかの企画が、真麻の手からも提出されていた。
 色々な意見が飛び交うが、なかなかまとまらない。

「最後に、資料にする時間がなかったので口頭で説明したい企画があります」
 桐谷が告げると、悠真が静かに頷く。

「タイトルは代官山リアル・ラブストーリーです。ヒロイン35歳と、これまでの乙女ゲームとは一線を画し──」

 


 オフィス、会議終了後。
「桐谷さん! 本当にこれやるんですか?」
 私は慌てて声を上げる。

「え、何? 自分の企画が通らなかった腹いせに潰しに来た?」
「ち、違うけど……」
「じゃあ何?」
「このゲームは、ちょっとマズイんです」

「ははは、言うことに事欠いてマズイ? 具体的に何がマズイわけ?」
 桐谷は笑い飛ばす。

 スマホを取り出しアプリを見せようとするが、代官山リアル・ラブストーリーはすでに消えていた。

「え?」
「何なの? 忙しいから邪魔しないで」
 桐谷は軽く肩をすくめるだけだった。



 会社近くの公園。
 長く息を吐く。
「企画が通らなかったくらいで、そこまで落ち込む必要はない」

 振り返ると、悠真がベンチの隣に腰掛け、サンドイッチと飲み物を差し出してくる。

「……」
「社長を無視する新入社員は君くらいだ」
「……ありがとうございます。サンドイッチ」
「ああ」
 その手は、重くも軽くもない絶妙な温かさだった。



 翌々日、社長室。
「会談のついでに昼食もとってくるから」
「そう……ですか」
「なんだ?」
「あ、いえ、何も」
「?」

 昼、テーブルに弁当を広げる。
「2つも食べるのか。大食いだな」
「わっ。驚いた、お帰りなさい。会談は?」
「昼休憩だ」

 悠真は向かいのソファーに腰掛けると、大きい方の弁当を無言で食べ始め──フリーズした。

「食中毒になるには、早いのでは?」
「俺好みの味だ」
「それは良かった。サンドイッチの御礼です」
 小さな達成感が胸を満たした。


 夜。
「もう就業時間は過ぎた。俺のことは気にしないで帰っていいぞ」
「家に帰っても、どうせ1人ですから」
「……なら、この棚の資料を整理してくれるか」
「はい」



 悠真が予約したフレンチレストラン。
 私達はテーブル越しに向き合う。
「社長は、お兄様に幸せになって欲しいのですか?」
 ホタテのムニエルを切り分けながら、訊いてみた。
「やぶから棒になんだ」
「随分とひねくれていらっしゃるようなので」
「君の物言いも可愛い、とは言えないが。兄の肩を持つのか」
「それは拾っていただいた恩がありますからね。でも……」
「でも?」
「1週間ほどしか一緒にいませんでしたから」
 自嘲気味な私に彼は、少し眉をひそめた。




 社長室。
 テーブルの上には、私が作ったお弁当が2つ並んでいた。

「これ、どっちが俺のだ?」
 悠真が椅子から飛び出して、勢いよく蓋を開けようとする。
 私はすかさず、その手をぴしゃりと押さえた。

「お手」
「は?」
「お手よ。手を乗せて、ここに」
「……」

 悠真は目を瞬かせたまま固まっている。
 私は腕を組んで首を傾げた。

「しないなら、あげない」

 そう言って弁当を片付けようとしたら、彼が慌てて立ち上がった。

「待て、どこへ行く」
「どこだっていいでしょ」
「なぬ……」
「はい、お手。できないの?」

「ぐ……」
 歯を食いしばった彼を見て、私は小さくため息をついた。
「もういいわ」

「待て、する!」

 差し出した私の手の上に、彼の手がそっと乗る。
 その瞬間、部屋の隅で東雲が吹き出した。

「うう……」
「イイコね。よくできました」
 私は軽く頭を撫でた。
 悠真の耳が真っ赤に染まる。

「まだ撫でてほしい? ん?」
「……」
 彼は黙って視線を逸らした。



 1週間後。

 社長室の奥にある仮眠スペース。
 私はベッドに腰掛け、膝の上に悠真の頭を乗せていた。
 髪をゆっくりと撫でる。指先に、穏やかな呼吸の振動が伝わる。

「落ち着く。人生で1番今が幸せだ」
「嬉しい。私も」
「本当に?」

 彼がゆっくりと起き上がる。私は小さく頷いた。

「な、なら、唇に触れても……?」
 その声に、私は小さく首を振る。

「な、な、なぜ」
「あなた、婚約者がいるじゃないの」
「あ、あれは……政略で、気持ちはない」

 それでも、私はもう1度首を振り、無言のまま部屋を出た。



 その夜、寮の部屋。
「何なんだよ、1週間も休暇とるなんて! どこに行くつもりだ?!」
「きゃっ」

 唐突に悠真が上がり込んできて、壁際に追い詰められる。
 ──ドン。
 壁際に追い込まれ、息が詰まるほど顔が近い。

「俺が嫌になったから逃げるのか」

 雨に濡れた子犬みたいな目で見つめられた。

 足し引き、押し引き。

 ここは押しだ。

 何故だろうか。ゲームで先に攻略したからだけではない、恋愛の呼吸が手に取るようにわかる。

 私は腕を彼の首に回した。
 そして、顔を近づける。
 戸惑いながらも、悠真がキスをしてきた。



 ──翌朝。
 ベッドの上、裸のまま寄り添っている。
 悠真が後ろから私を抱きしめた。

「1日中、君とこうしていたい」
 彼の腕が、強く私を引き寄せる。

「もう起きないと、仕事に遅れるわ」
「一日くらい休んだって平気さ」
「あなた、社長でしょう?」
「こういう時は兄に代打を頼もう。もともと兄の会社なんだし」

 彼はスマホをいじりながら、私の髪に顔をうずめた。
 私は彼の胸の上に頭をのせて、長く息を吐く。
 髪を撫でると、悠真は満足そうに目を細め、猫みたいに頬をすり寄せてきた。

 そうしているうちに、ピンポーン。
 続いて、ドンドンドンドン!

 インターフォンに出ると、蓮の声だった。
 ドアを開けるやいなや、蓮が部屋に飛び込み悠真を殴り飛ばした。

「何やってるんだ、お前はっ?!」
「に、兄さん……」
「俺から会社を奪った挙げ句に、これか?!」

「奪う? 悠真さんがやったの?」
 私が思わず問い返す。

「違う。返しただけだ。雪澤コーポレーションの後継の座と婚約者を」
「要らないから自立したんだろ!」
「俺に押し付けるな! 俺だって要らない!」
「っ!」

 私は深呼吸をして、2人の間に割って入った。

「とりあえず朝食を作ります。悠真さんは服を着て。蓮さんは待っててください」


 少し後。
「うまい」
 蓮がそう言って、静かに箸を置いた。
 中サイズの親子丼とお吸い物だ。

 私は微笑んで頷く。

「真麻、俺以外の男に微笑むな」
 悠真の声が低くなる。

「お前……この短期間で何があった?」
 蓮がため息をつく。

「理想を手に入れただけだ」
 悠真はそう言って、椀に口つけた。




 1ヶ月後。
「どうしてだ?! どうして?! 俺も連れていけ!」
 悠真が私の腰にしがみつく。

「ダメって言ってるの」
「行き先だけでも教えろ」
「放っておいて」
「イヤだ! 俺も連れて行かないなら、外に出さない!」

 悠真の腕が強く絡みつく。身動きできないほどだ。
 私は迷わず、スマホを取り出し隣の部屋に暮らす東雲に連絡した。

 数分後、東雲が駆けつける。
「主君に逆らうか!」
「女にのめり込む主君を諌めるのが近臣です」
 悠真を引き離す東雲の力強さに、思わず安堵した。

「助かりました」
「いいえ。お気をつけて、いってらっしゃい」
「はい、あとよろしくお願いします」

 私は旅行かばんを手に取り、静かに寮を出た。




 ──青森。
 肌寒い街に到着。
 早速、予約していたイタコを訪ねる。
 彼女は深くうーんと唸り、項垂れるように頭を下げた。
 そしてふっと顔を上げる。

「真麻」
「伯母さん! 出てきてくれた!」
「大変なことになってるわね」
「そうなの。訳がわからなくて……どうしてこんなことに……」
「今いる4人の男達は前世の因縁で繋がってるの」
「因縁……?」
「逆恨みされてるのよ」
「え? 誰に?」
「男の愛人だった女に」
「そんな……」
「真麻は悪くない。けど、相当強い怨念と執着が絡み合ってる」

 その言葉に、背筋が寒くなる。
「人の恨みや執着の力で、未来のゲームをプレイして、それが現実と連動したり……そのゲームが消えたかと思えば、また新たに現実の企画としてスタートするなんて、そんな不思議なこと起きる?」
「マーサを恨んで死んだ女が、強い魔女だったのよ」

 言葉の意味が頭に沈み込む。
「どうすれば……」
「ごめんなさい。それは霊界でなく、魔界の担当だから魔術を調べてみて」
「え、そんな……」
「時間切れ。またね、私の可愛い姪っ子」
「伯母さん!」

 私は深呼吸し、状況を整理する。
 まず4人の男──雪澤兄弟、朝比奈、東雲──は前世の因縁で繋がっている。
 そのうちの誰かの愛人だった女が、私を逆恨みして今回の現象を起こした。しかも魔女。
 そして魔術が絡んで、ゲームの強制力まで生じているらしい。
 女も転生しているなら、桐谷さんか悠真の婚約者、あるいは彼らの母親か……。
 何が目的なのだろう。私の不幸な結婚生活?
 もし今すぐ会社を辞めたら、ゲームの強制力でまた戻されるのだろうか……。

 まず現実の安全を確保するため、寮を出るよう。
 だが前の家は火事で取り壊され、マンションを探してもどこも審査落ち。
 もしくは、わずかなタイミングの差で先約が入り借りられない。

 やっぱり、ゲームの強制力が働いている。

 ふと思い立ち、大きな図書館で魔術を調べようかと考える。
 しかし先に、お祓いを受けた方が安全だと気づいた。
 イタコに頼って答えに近付いたのだから、霊的な行動にも意味があるはずだ。

 私は東京大神宮へ向かい、お祓いを受けた。
 祈祷の最中、急に外が荒れだし豪雨が降り始める。
 驚きながら帰ろうとしたその時、社内メールが届いた。

「代官山リアルラブストーリー、シナリオ完成」

 画面を見て、私はそのまま会社へ向かう決意を固めた。



 会社の社長室。
 私はPCの前に座り、完成したシナリオを開いた。

「代官山リアルラブストーリー」

 まるで、誰かが私の人生をなぞるように書いたかのような脚本だった。
 いや、こちらが先に書かれて私がなぞったんだろうか。

 横で、悠真が何か言っている。
「俺の話、聞いてるのか? 昨日だって──」

 無視して画面をスクロールする。彼の声は、遠くの雑音のようにしか聞こえなかった。
 ページをめくるようにタブを切り替え、最後の行を読み終える。

「……ふう」

 ゆっくりと息を吐き、PCのタブを閉じた。

「悠真」
「やっと、こっち見た。俺を構えよ。寂しかったんだぞ」
「私を愛してる?」
「っ?!」
 彼が息を呑む。
「愛してるなら、何をすればいいと思う?」
「そんなの……こうして──」
 悠真が手を伸ばし、私を抱きしめようとした。
 私は首を振った。
「違う。目先のことじゃない」

 彼は、その意味を理解できないまま、立ち尽くしていた。






 ──半年後。

 白いチャペルの中央。
 祝福の鐘が鳴り響く中、司祭の声が響いた。

「汝は健やかなる時も病める時も、新郎と人生を共に歩むことを誓いますか」

 私は真っすぐに前を見て答えた。
「誓いません」

 空気が凍る。
 ざわ……と、会場がざわついた。

「一体、何だって言うんだ」
 悠真が訝しげに言葉を絞り出す。

「私より、ふさわしい人がいます」
 ゆっくりと振り返り、田中 真千(タナカマチ)──悠真の元婚約者にして4人の幼馴染み──を指差した。

 会場が静まり返る。
 悠真の顔から血の気が引く。

「……バカな」

 私はポケットのリモコンを押した。
 次の瞬間、スピーカーから録音が流れ始めた。

『俺たち、ずっと一緒だよな』
『結婚したって関係ないよ~』
『むしろ結婚した方がカモフラージュになりますよ』
『そうよね。まさか私たちがずっとこういう関係だなんて、誰も思ってないだろうし』
『よかった。みんなと離れないでいれて』

 音声が終わると、重たい沈黙が落ちた。

「田中さん、悠真。
この度は、おめでとうございます。私はこれで失礼します」

 静かに礼をして歩き出そうとした瞬間、悠真が叫ぶ。
「ま、待ってくれ! 違う! 違うんだ! 真千のことは単なる、昔からの習慣で……愛してるわけじゃない! その、連携というか……仲間意識っていうか!」

「黙れ!」
 悠真の父である雪澤会長が、低い声で怒鳴った。
「醜態を晒すな! 
真麻さん、着替えが終わったら話し合う時間を。
式はこれで終わりだ。参列していただいた皆様には、申し訳ない」

「そ、そんな父さん! 待って!」

 会場の扉が閉じる音が、終わりを告げた。



 チャペルの控室。
 そこには、雪澤一家、田中一家、朝比奈、東雲、そして私の弁護士が揃っていた。

「弁護士まで用意してるとはね~」
 朝比奈が口笛を吹く。

「当然の権利では?」
と、東雲が冷静に返した。
「我々の落ち度です」
 朝比奈は黙り込んだ。

 雪澤会長が腕を組む。
「婚約は解消。慰謝料は……相場の2倍でいいだろうか」

「父さん! 俺はまだ──」
「黙れ!」

 私は1歩前に出て言った。
「慰謝料は相場で構いません。それから、本日中に悠真さんと田中さんが入籍してください」

「「「なっ?!」」」

「それと、もう1つ。私が企画したゲーム『離婚シミュレーション』のキャラクターモデルを、田中さん達にしていただきます。
以後5年間、勝手に改変しない契約を。そうすれば録音データは、すべて予備も含めて消去します」

 雪澤会長の声が、低く部屋を震わせた。
「……婚姻届を持ってきてくれ」

 誰もが息を呑む中、田中真千が青ざめた顔で立ち上がった。
「まっ、イヤ! イヤよ!」

「こうなったら従うしかない」
 父親の静かな1言に、周囲は“仕方ない”という表情を浮かべる。

 真千は、泣き叫ぶように言った。
「私が愛してるのは、理央なの! 結婚するなら理央がいい!」

 その瞬間、東雲が淡々と口を開いた。
「業務命令とあれば、引き取りますが」

「は? 私のこと、好きじゃないの?」
「なぜ?」
「だって……前世で、私たち結ばれたのに」

 部屋中が、静まり返った。
 誰も、言葉の意味を理解できない。

「私はプリュダンス=フローラ。あなたは私の愛人、グランヴィル医師」
 真千は涙を浮かべ、恍惚とした声で続ける。
「あなたはヴィオレッタの主治医だった。肺を患った彼女の見舞いに行った時、あなたに恋をしたの。

それなのに、あなたはいつも“ヴィオレッタ、ヴィオレッタ”って。
ヴィオレッタが死ねば忘れると思ったのに……。

私たちの前世は、物語『椿姫』の登場人物。
その女(真麻)がヴィオレッタ、蓮がドゥフォール男爵、悠真がアルフレード・ジェルモン、光がガストン子爵よ」

 静寂。

 時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。

「……気が触れていたようだ」
 雪澤会長が重々しく言った。

 男性陣が一斉に頷く。
 真千の両親は蒼白になり、私の方へ頭を下げた。
「責任もって入院させる。あなたも……申し訳なかった。償いは、必ずする」
「そうしてくれ」
 会長の声が、まるで判決のように落ちた。

 私は深く息を吐いた。
 嵐は過ぎた。けれど、終わりではない。





 ──数日後。代官山リヴァース・社長室。

「おはようございま──」
「おはよう」
 椅子を回してこちらを向いたのは、蓮だった。

「今日から俺が社長に復帰した」
「……私のせいですか」
「っ、違う。おかげだ」
「そうですか」

 彼は静かに笑った。
「君は見違えるほど強くなった。初めて会った時は、保護しないと死んでしまうかと思ったのに」
「社長好みの、“支配できる弱い女性”は、またすぐに見つかりますよ」
「ふう……爪を隠してただけか。企画書を見せてみろ」

 それが、私と彼の“再会の会話”だった。
 どちらも笑っていたのに、心の奥はどこか遠かった。




 ──就業後。
 人気のない廊下で。

「東雲さん」
「なんでしょう」
「東雲さんにしかできないミッションがあるのですが」
「命の危険は?」
「場合によっては、あります」
「報酬は?」
「……何が欲しいですか」



 ──隔離病棟・夜。真千視点。

 蛍光灯がちらつく部屋の中で、私は拘束具に繋がれていた。
「離して! 離してよ! 私はプリュダンス=フローラよ!」
 誰もいない空間に、声が反響する。

 そのとき、空気がふっと変わった。
 誰もいないはずの病棟に、黒いコートの男が現れる。
 東雲だった。

「プリュダンス」
 その声に、私の細胞が騒いだ。
「グランヴィル! 来てくれたの!」
「ああ、辛い思いをさせて悪かったね。……ここから出よう」

 枷が外れる音がした。
 私は導かれるように立ち上がり、足元の影に飲まれていった。



 ──幻影の劇場。

 東雲が私を連れてきたのは、劇場だった。
 舞台では、オペラ《椿姫》の幕が上がる。
 観客席は2人だけ。

「グランヴィル! またヴィオレッタのところへ行くの?」
「フローラ、彼女はもう命が消えかけてる。できることは、全てしなければ」
「毎日、行ったって変わらないわ!」
「それでも本当に友人なのか! 見損なった!」

 舞台の上で、俳優たちが演じているはずなのに──
 私には、その役者が遠い日のグランヴィルにしか見えなかった。

「待って……ごめんなさい。行かないで、グランヴィル」
「ああ、少し言いすぎたよ。すまない、フローラ」

 2人が抱き合う。
「愛してるよ、フローラ」

 観客席で、私は涙を流した。
 それが舞台の演技なのか、夢の中なのか、もう何もわからなかった。

 東雲はそっと私の髪に触れ、静かに目を閉じた。




 ──昼の歩道、真麻視点。

 伸びをして、私は歩き出した。
 長かった日々の幕が、ようやく降りた気がした。

「会社辞めて、どこ行くって?」

 振り返ると、朝比奈が腕を組んで立っていた。
 相変わらず、何でも見透かすような目をしている。

「皆さんから頂いた慰謝料で起業します。ゲーム会社を」

「何のゲーム、作るつもり?」

「イタコの降霊術ゲームです」

「冗談だろ?」

「冗談です」

 そう言うと、朝比奈がふっと吹き出した。

「ははっ。うちの会社に来なよ。君は優秀だから、他に獲られたくない」

「もう、過去にとらわれないで生きていきたいんです」

「……そう。残念だ」

 それだけ言って、朝比奈は手を振り、去っていった。
 私は青空を仰いだ。春の風が頬を撫でる。
 ようやく、本当に自由になれた気がした。




 ──5年後。

 青森の港町。
 海の匂いと、潮騒の音が窓から流れ込む。

「君との契約が切れた」

 蓮がそう告げたのは、例の“離婚シュミレーション”の契約期限だった。
 契約内容は5年間キャラクターのモデルを4人と真千にするという、ただそれだけだった。

「ええ。なら、好きにしてくださればいいのに」

「君はどうしたい? 君の気持ちを尊重したいんだ」

 “離婚シュミレーション”は、真千の呪いを封じるために作ったゲームだった。
 結婚式までの半年間、何度もイタコを訪ね、黒魔術も身につけた。
 これは復讐のための物語。
 けれど真千は退院後、修道院に入り、もう表舞台には戻ってこなかった。

「気持ちは嬉しいです。でも……もう気が済みました。だから、本当に好きにしていいんです」

「吹っ切れたんだな」

「とっくに」

 蓮は少し目を細めた。
 あの頃の彼とは違う、柔らかい笑みだった。

「なら、また東京で働かないか。寒いだろ、青森は」

「私、ゲーム会社を経営しながらマグロも獲ってるんです」

「冗談だろう?」

「はい、冗談です」

「フハッ、そうか。それなら仕方ない。弟は元気か?」

「ええ、そろそろ帰ってく──」

「ただいま! あ、兄さんまた来たの? 邪魔くさいな!」

 勢いよくドアを開けた悠真が、ずかずかと入ってくる。
 その後ろから、朝比奈と東雲も現れた。

「本当だ~。毎月、来てるよね~」

「雪澤コーポレーションの跡継ぎとして、どうかと思いますが」

「うるさい。お前たちこそ勝手に引っ越して何してるんだ」

「べっつに~」

 そのとき、悠真がふと真顔で言った。

「俺、まだ婚約解消に納得してないから」

「未だに、そんなこと言って」

 蓮が苦笑する。
 しかし次の瞬間、東雲が静かに告げた。

「申し訳ありませんが、真麻は私と毎晩床を共にしてますので事実婚夫婦です」

「「「えええええっ?!」」」

 騒がしい声が港町に響いた。
 その中で、私はただ静かに笑った。
 潮風の向こうに、春の海がきらめいていた。

 





□完結□