「ええ、あなたの余命が僅かなのは知っているわよ。当たり前でしょ? 私は愛するあなたの母親なのよ。……それがあなたの婚約になんの邪魔になるの?」

 一瞬、自分の存在の意味がわからなくなって頭が混乱した。
 ……大丈夫、私はプリム・モンテローザ。伯爵家の長女。

 お母様の部屋で私は自分の寿命の事を伝えた。あと、三ヶ月。それが教会医者からの宣告。

 というよりも、ずっと前から余命が少ない事はわかっていた。特殊な回復スキルを持っている私は、人の身体の傷、病気、呪いを治すのではなく『直す』『元に戻す』事が出来た。

 この聖王国でもレアなスキル。
 ただ、このスキルを使うと自分の生命力も消費する。……私はお母様の命令でずっとスキルを使い続けていた。この屋敷の稼ぎは、法外な施術費だって理解している。

 自分の死期ははっきりと理解している。医者の見立て通り、このままスキルを使わないで三ヶ月。スキルを使ったら数日で死んじゃう。

「私、もう余命が――」

「くどいわね。……死ぬ前に公爵家の子息と結婚すればいいのよ。いい? あなたの役割は家に利益を与える事。必ず、婚前交渉しなさい。そうすれば助かるの。子供ができればスキルが引き継げるわ。またその子に役立って貰えばいいのよ」

「――――っ」

 まさに外道の所業。私の子供も私のようにこんな境遇にさせるつもりなんて……。
 私は歯を食いしばり、「はい」とだけ返事をする。

 家長である、母親ミスト・モンテローザ。私以外の家族にはとても優しい人。

「絶対に他の家族には余命の事を言わないでちょうだいね。……もしも、話が漏れたらあなたの余命を知っている人間は全員死ぬわ。あなたのせいで」

「……はい、お母様」

「愛しているわ、プリム」


 ***


 屋敷の廊下を歩きながらため息を吐く。身体が重たい。呪いに蝕まれた心臓が痛い。歩くたびに生命力が減っていくような気がする。

 この屋敷で、学園で、夜会で、人がいる時はそんな素振りを見せてはいけない。私は健康的な令嬢であり、家が高みに行けるような婚約者を獲得する必要があった。

 結果――、私は公爵家長男と婚約する事が出来た。
 あれは数週間前の夜会だった。

『ひっく……、うい……ひっく、き、君が、プリムちゃんだね? へへえ〜、ミスト様が言った通り、超良い身体してるね。……ひひ、あのさ、色々仕込まれてんだろ?  俺の婚約者候補に入れてやるよ』

 思い出すだけでも身震いがする。母親が勝手に私の事を売り込んだ。嘘の話を折り込んで……。

 『来週だからな。絶対俺の屋敷に来いよ。そうしないと婚約者候補にはなれねえな〜』

 ……廊下を歩く足を止めてしまった。思い出しただけで吐き気が催す。深呼吸をして心を落ち着かせる。
 公爵子息様との約束の日は明日……。

 と、誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。

「あっ、お姉様! へへ、聞いていてください! 私、学園のテストで満点取ったんですよ!」

 私の一個下の15歳の妹のプリシア。私と違って可憐な彼女は数多の婚約者候補が存在していた。
 婚約者である聖王国王子タツヤ・サイゼがプリシアの隣にいた。

「こら、プリシア。プリムは体調が悪そうだから後にしなさい。プリム大丈夫?」

 ――気持ち悪い。自分の身体がじゃない。タツヤの態度がとても気持ち悪い。

 タツヤは基本的に良い人だ。優しくて争い事を好まない善良な王子。
 ……優しさは人を傷つける時もある。優柔不断な態度はトラブルを招く時もある。

 三年前、私に『プリム、俺は君を愛している。君を必ず守る――』といった次の日、タツヤはプリシアと婚約の誓約書を交わした。タツヤは自分が言った言葉を忘れていた。
 母親の差し金だった。……それ以来、私はタツヤの優しい態度が好きになれない。信用が出来ない人だ。

「ダイジョウブよ。プリシア、良かったわね」

「うん、お姉様よりも成績良いもんね、私!」

 プリシアは母親の影響で姉である私を『下』として見ている。これはプリシアに限った話じゃない。従者も誰も彼も全員私を下に見ていた。

 そして、私がこの家で回復スキルを使って、一番貢献している事を母親以外誰も知らない。
 もちろん余命の事も、だ。あっ、タツヤだけは知っているんだった。

「あははっ、プリシア、そんな事言ったら駄目だって。お姉ちゃんなんだよ? ほら、プリムもなにか言いなよ」

「いえ、別に何も……」

「相変わらず暗いよな。……ていうかさ、いつまで昔の事気にしてるの? 心が小さい女だな〜」

 と、いいながら二人は去っていった。
 私は深呼吸をして怒りを沈める。それでも怒りは消えてなくならない。
 だから、手が痛くなるまで拳を握りしめた。


 ***


「自分の身体は直せない、か。もうちょっと便利なスキルが良かったな」

 聖王国の聖都の寂れた喫茶店。お客さんは私ともう一組しかいない。
 私は聖王国が大嫌いだ。わけもわからない宗教を強要され、差別が蔓延している。それに新興宗教が流行り始め、政治も腐敗している。

 私は明日、あの公爵家に行かなければいけない。

 逃げることは許されない。私には常に監視が付いている。だから、今ここで逃げようとしても……捕まえられる。


「本当にね、私の人生ってなんなんだろ? ……別に貴族なんかじゃなくて普通に――、あれ?」


 喫茶店にお客さんが入ってきた。
 あれは聖王国学園の留学生で、私と同じクラスの――自由都市の低位貴族のレイ君だ。

 実は元婚約者で、二年前に夜会で会った時に私が無理やりお願いしたんだ。私の事を嫌ってそうだし、女の子が嫌いそうだから。他の婚約者避けになる。自由な時間が出来る、と思っていたけど……。

 結局、母親からダメ出しが出たんだ。
 あっ、私もタツヤと一緒だ。失礼な事しちゃった……もう余命もわずかだから謝ろうかな。

 レイ君は私を一瞥して鼻を鳴らすだけだった。
 私は少し緊張するけど、立ち上がりレイ君の前に立つ。

「あん? なんだお前。俺とお前の婚約者契約は終わっただろ? 話す必要ねえだろ。というか、俺はお前みたいな令嬢は好きじゃないんだよ」

 本人は普通に話しているつもりだけど、普通の人は怖いと感じるよね。
 私達は婚約者だったけど、ほとんど会話もしていなかった事を思い出した。

 私は店員さんにレイ君の席に移動する旨を伝える。



 そして――

「よしっ、レイ君一緒にお茶しよ! 私は超暇なんだよ。あのね、ちょっとばかし嫌な事が色々あってさ」

「…お前、そんな喋り方だったか? ……平民みたいな口調で大丈夫なのかよ?」

「ん? いいのいいの。だって、私――、あっ、そうだ。レイ君っていっつも怪我してるよね? あのさ、今も脇腹の所に打撲あるでしょ?」

「はっ? なんで分かるんだ? ていうか、それが――」

「私が『直して』あげるね! ――えいっ!」

 手を伸ばす。生命力を手のひらの集める。そして、患部を正しい状態に戻すために、脇腹に触れた――

 ――瞬間、手を掴まれた。

「お前、何してんだ!!! この馬鹿野郎!! ………マジで、なに、してるんだ、馬鹿野郎……」

 一瞬だったけど、私の生命力はレイ君の身体に微かだけど伝わったはず。脇腹の打撲は完治していない。

「いや〜、直そうと思って」

「自分の命を使ってか? 絶対やめろ、そのうちてめえが死ぬぞ。その力は危険すぎる」

 レイ君は今までに見たことがないような真剣な目で私を見つめる。というか、本気で怒っている。両手は私の肩を掴んでいる。すごい強さだ……。

「い、痛いよ」

「あ、わりい……。ふんっ、俺には関係ねえけど、一応元婚約者だからな」

「うん、元婚約者だもんね! ふふっ、心配してくれてありがと。怒ってくれてありがと!」

「別に心配してねえよ」

 レイ君は顔をそらした。
 私はしばし考える。……なんか、いま、私すごく普通の女の子みたい。

 余命三ヶ月。明日は公爵家。報われない子供を生むための道具。負のループ。

 目を閉じる。

 私が死ぬまでに本当にやりたいこと。


 水晶映画で観た自由都市や帝国の女の子みたいに、気になる殿方と街を歩いてみたい。

「……私って結構乙女だったんだ」

 しかも気になる殿方って……。
 眼の前で目つきの悪いレイ君が怪訝な顔をしていた。

「どうした? 何固まってるんだ?」

「レイ君! デートしよう、デート! えっと、聖都ならちょっとしたデパートもあるし、自由都市や帝国とは比べ物にならないけど」

「はっ? なんで俺がお前とデートしなきゃいけねえんだよ」

「いいじゃん! ほらほら、こんなに可愛い女の子が誘っているんだよ? 行こうよ」

 レイ君を見つめる。


 ふと、何かを感じ取った。
 ここが――『分岐点』


「だからガキは嫌いなんだよ、くそが。今は忙しいんだ。3ヶ月後なら構わねえよ」

 私は心の中で仕方ない、と思った。レイ君にこっそり別れの挨拶をした。でも、レイ君のお陰でなんか気分が晴れた。

 私はビッと敬礼をする。

「了解っ! じゃあね! 3ヶ月後に会おうね! 無理だったらごめんなさい、えへへ」

「――っ」

 自然に笑ったのって初めてかも知れない。なんだか心がウキウキしてきた。私の元婚約者のレイ君。以前は怖いイメージしかなかったけど、とっても素敵な人だった。

 うん、とっても素敵だった……。
 だから、レイ君と会うのはこれっきり。

「色々話してくれてありがとう!」

「ああ……」


 3ヶ月後のお礼は今言っておく。

 これで心の残りはない。私はお店をレジへと向かう。
 店員さんに現金を支払おうとしたら――



「――この水晶カードでまとめて支払う。領収書は『レイ・マシマ』と書いてくれ」



 ***



 何故か忙しいはずのレイ君が私のデートの誘いを受けてくれた。
 しかも妙に大人っぽい仕草で喫茶店の代金を払ってくれた。

「ねえねえ、なんで付いてきてくれたの?」

「うるせえな、なんか気になったんだよ。お前、前と全然違うじゃねえか。正直、今のお前の方がタイプだぞ」

「わっ、ストレート! ふふっ、ありがとね」

「ふんっ、別に好きって言ってるわけじゃねえぞ」

「でも嬉しいよ」

「そっか、なら良かった。というか、お前俺とデートしていいのか? あの母親がうるさいだろ? ってか、お前、超笑顔だな。ははっ、なんか俺も気分いいや。お前、ずっと笑っていればモテるぞ」

 私、笑っているんだ。なんかね、とても自由な気分になれたんだ。今、余命の事を忘れてた。身体の不調だって気にならなかった。

「あのね、お前お前ってちょっと失礼じゃないかな? 私はプリムよ」

「わりいな、プリム。じゃあデパートに行くか」

「うんっ、レイ君にお任せするよ!」

 全てが新鮮だった。殆どの時間を学園と屋敷と夜会と患者の所の行き来しかしない私にとって、同世代の男の子と街を歩くなんて初めてだ。

 レイ君は見た目よりも、気が利く男の子だった。
 歩く速度を私に合わせ、時折手を取ってくれる。会話でさり気なく私の好みを聞いたり、女性向けのお買い物も真剣に付き合ってくれる。

 時間が経つのがあっという間だった。

 こんなに楽しいのは生まれて初めてだった。


 ……最後に、良い思い出が出来た。

 私、この気持ちを抱いたまま、いなくなりたい。

 あっ、レイ君と仲良くならなければよかった。だって、私が死んじゃったら、レイ君が嫌な気持ちにならないかな?

 門限が迫る。屋敷に帰らないといけない。
 一番最初の喫茶店の前。
 私達は自然に手を繋いでいた。

 お互い別れの挨拶が言えないでいた。沈黙だけが広がる。
 視界の隅に私の監視役がいるのが見える。

「あのさ、レイ君って留学生だよね? いつ帰国するの?」

「そうだな……。あるモノが見つかったら帰ろうと思っていた」

「ん、そっか。りょーかい。あっ、私の迎えがあそこにいるからレイ君、先に帰っていいよ」

 私が一人になったら、全速力で走って逃げる。どこに逃げるかなんてわからない。力のかぎり、私は余命を『自由』に生きる。死ぬ時は私の意思で死ぬ。
 その強さをレイ君から貰った。

 なんだろう、気になる元婚約者様だね。

 レイ君は頷いて、足を一歩踏み出す。……どれだけ待っていても二歩目を踏み出さないでいた。
 レイ君は振り向いた。

「――なあ、俺、探しもの見つかったかもな。連れて帰らねえと」

「え?」

 レイ君は私と向かい合う。私の手をそっと取る。

「時間なんか関係ねえ。会った回数なんか関係ねえ。よくわかんねえけど、ここが燃えてんだよ。だから俺にはプリムが必要なんだ。……ちょっと俺と一緒に来てくれ」

 瞬間、視界が歪んだ――

「わ、私、呪いや病気で、顔がボロボロだよ? 身体も汚いよ?」

 涙が溢れてこぼれ落ちる――

「関係ない。お前の心はとても綺麗だ」

 嗚咽のせいで言葉が出ない。

 嬉しさと悲しさが同時に襲いかかる。


「で、でも、わ、わたし、もう、余命が――」

 レイ君が突然私を抱きしめた。
 耳元で囁く。

「……全部全部関係ない。俺が全部どうにかする――。だから、安心しろ」

「でも、三ヶ月も無いんだよ!! レイ君を悲しませちゃうよ!」

 私の言葉に呼応するかのように強く抱きしめる。

「それでも、だ。時間はかかるが、俺がお前のスキルを『戻す』。――とりあえず、この街を出るぞ。覚悟はいいか?」

 私は深呼吸をして心を落ち着ける。


 信じる。


 ほんの数時間、ほんの数回しか会ってないレイ君。
 それでも、何か心に芽生えたんだ。

 気になる婚約者様。

 もしかして、これって初恋?

 だから――


「あの屋敷に帰りたくない。私、頑張って余命乗り越える。少しでも長く生きられるようにする!」

「ははっ、その意気だ。じゃあ少し目を瞑ってくれ――」

 そして、私の身体がレイ君に抱きかかえられた。



 ***



 1ヶ月後、聖王国城、夜会。



「お母様……、プリム姉様は見つかりましたか? 私、毎日とても悲しいですわ」
「プリシアさん……泣くならば僕の胸を使ってくれ」

 私、モンテローザ家の当主ミストはため息を吐く。

(余命間際で自暴自棄になったの? はぁ、子供ができればスキルを引き継がせて本人は助かるのに……)

 あのスキルはレアスキル。親から子に引き継がれる。
 私もあのスキルを持っていた。実際、親に使い潰され、余命があと数カ月だった。

(今でもあの頃の地獄を思い出すわ。……好きでもない汚らわしい男の子供を身ごもった瞬間、身体の不調が治った。あの時は喜びよりも、「なぜ私がこんな目に?」という怒りしか感じなかった)

 子供が出来たら同じ苦しみを味あわせたくない。と思っていた。
 なのに、子供が大きくなるにつれて母親に似ていく。憎しみが、怒りが、私の心を制御出来なかった。

(でも、結局子供ができれば助かるんだから、いいわよね? 私はプリムを愛しているわ。あの母親とは違う)

 なのに、まさかいなくなるとは思わなかった。
 この場合のパターンは文献にも記されていない。経験がない。

「プリシア、あなたは学業に専念しなさい。タツヤ様もまだ学生の身分ですので、しっかりと学園に通ってください。せめて中くらいの成績を……」

「お母様は悲しくないのですか! プリム姉様が行方不明なんですよ!」

「ああ、プリシア、なんて優しい子なんだ。……ミスト様、学園も大切ですが、プリムの捜索の方がもっと大事です。この聖王国王子の僕が必ずや見つけましょう!」

(本当にイライラする。実際、私の能力に一番似たのが、顔が母親そっくりのプリム。成績優秀、身体の不調がなければ魔力も体力もバケモンクラス。……このぼんくらたちとは違う。……もう少し優しくすればよかったの? ううん、何度も優しくしようと思った。でもあの顔を見ると……)



「あれ? もしかしてプリム? プリムが生きてたわ!」

「おおっ、プリム……、プリム? なんと、美しい……、この一ヶ月で何があったのだ! い、いてっ、プリシア、何をするんだ!」

「プリム……?」

 私は思わず立ち上がった。
 今のプリムには母親の面影はない。
 数多の呪いを引き受け、数多の病気を吸い取り、数多の怪我を引き受けたボロボロの身体じゃない。
 怒りは湧き上がらない。悲しさも湧き上がらない。

 ただ、愛する娘が戻ってきた事に女神様に感謝するだけだった。


(ああ……、私、プリムの事本当は愛していたのね……。離れてから本当の愛情がわかるなんて)


 プリムは貴族たちからの称賛の眼差しを一身に受けながら、優雅に歩いてきた。


「プリム……無事で良かったわ……。とても心配したわ。あなたは私の愛する娘――」


 プリムは不思議そうな顔で首をかしげる。





「あの、すみません。あなたはどなたですか? 私には母はいませんので――」




 ***



「え…………っ?」

 元母親が素っ頓狂な顔をしていた。そう、私はもう変わったんだ。あの頃の身体じゃない。心じゃない。
 全部捨てて生まれ変わったんだ。

「聖王国聖下にお呼ばれして、ご挨拶に向かうんですが……。どいてくれませんか?」

 今の私にとって本当にどうでもいい人たち。
 プリシアが私に掴みかかる勢いで向かってきた。

「ちょっと、お姉様! 私達はこんなに心配したんですよ! 何か言う事はないんですか!」
「そうだ、そうだ! 僕達はこんなに心配していたんだぞ! それに親父に呼ばれたって僕は何も聞いていないぞ!」

「はぁ……、心配している自分が可愛い。とでも思ってそうな顔つきですね。モンテローザ家は随分と野蛮なんですね」

「プリム、お姉様……、あなたごときが、何を言って……」

 身体を震わすプリシア。自分の保身しか興味がないタツヤ。


「本当にお似合いなお二人ですね。あなたたちは私の余命を知っていましたか? 私が家でどんな仕打ちを受けていたか知っていましたか? 家の稼ぎは私のスキルがほとんどだって知っていましたか? ――どいてください」

「な、なんの話よ……。よ、余命? お姉様、嘘は――」

「そっちのミストさんのお顔を見てちょうだいね」

「あっ……」

 元母親はプリシアからの視線を逸らす。

 私は構わず前に進もうとした。
 と、その時、元母親が私の前を遮る。騒ぎを聞きつけてきた公爵家の長男もやってきた。

「あ、あなた、こちらの方の婚約者だという自覚はあるの? モンテローザ家の人間ならしっかりしなさい。……子供が生まれれば余命は大丈夫だから」

「ひひ、んだよ、お預けかと思ったけど、待ったかいがあ――」

 私は公爵家長男の顔をひっぱたいた。長男の身体が吹き飛ぶ。夜会全体がざわつき始める。


「みだりに女性を触ろうとする痴漢を振り払って何が悪いの? ねえ、ミストさん、そんな悪評ばかりの男を自分の娘の婚約者にするなんて本当に意地が悪いですね」

「――プリムッ、優しくしていれば、つけあがって……もう許しませんわ」

「許さない? あの、私はもうモンテローザ家じゃないです。」

 後ろからそっと手を握られた。

「ど、どこから現れた!?」「まて、あれは……、あの紋章は!!」「皇国の皇子だと!?」「ま、まさか、レイ皇子? だ、だれかこの事態を聞いていないのか!」「自由都市皇国を怒らせたら我が国なんて一瞬で壊滅するぞ!」「……なに? 学園にお忍びで留学……」


 手を握られると心が強くなれる。この1ヶ月間で色々知ったんだ。
 ……これからもっと色んな事を経験するんだ。


 私は変われたんだ。


 握られた手からレイ君のスキル『初期化』の力を感じる。
 私のスキルが初期化される。
 非合法のモンテローザ家の処置を受けた貴族たちがバタリバタリと倒れる。

「こ、これはなんだ一体!」「警備を呼べ警備を!!」「うわぁ、悪名高い貴族ばかりですね……」「もしや、噂の邪教の儀式?」

 騒然とする夜会。

「ミストさん、私はこの結末に至るまで死ぬほど努力したよ。もちろんレイ君抜きじゃ無理だった。何度も死にそうになったとしても……、私はレイ君との幸福な自由を夢見て頑張ったんだ」


 元母親は呆然とした表情を浮かべる。


「努力……? そんな、もので……。そんなもので幸せになんてなれるわけないわ! わ、私がどれだけ犠牲にして……、私は愛する人が目の前で死んだのに!! 私は、私は――あなたに幸せになってほしくて、あなたを愛しているって気が付いて――」



 涙を流して私に訴えかける。



「愛してたのよ! 全てはあなたのためだったのよ! 結婚して子供が出来て、全部子供に責を負わせれば良かったのよ! ちょっとだけ我慢したら幸せに、私達は笑って中庭でお茶が飲めたのよ!!! プリム、私の愛しいプリム……。こんな出来損ないのプリシアと違ってあなたは優秀で――」



 私はため息を吐く。



「親の都合を押し付けないでください――、自分勝手な愛憎を押し付けないでください。もう二度と顔を見せないでください。あなたは母親なんかじゃないです」


「あっ…………あぁ………」



 元母親が呆然と立ち尽くす。
 元母親の発言を聞いて泣いているプリシア。慰めようとしたタツヤは聖下に胸ぐらを掴まれて引きずられるのであった。

 モンテローザ家は違法な治療をしていた。タツヤが貴族王族の仲介をしていた。スキルで『直す』という行為は国際的に禁止されている。
 私も知らなかったけど、この一ヶ月間、自由都市で療養している時にわかった。

 莫大な報酬と引き換えの施術。
 それが全部無意味になった時、顧客の悪徳貴族たちはどんな反応をするんだろう?

 モンテローザ家はこれから大変な道のりを進む。

「なに、大丈夫だ。 プリム、お前にはもう関係ない」

「うん……、ありがと、レイ君」



「……別にお前のためじゃねえよ」



 私はレイのその言葉を聞きながら頭を預ける。
 レイは優しく頭をぽんっとしてくれた。


 何故か、私の目から一筋の涙が流れ落ちた――