……終業式の、朝。

 バスを降り、校門から校舎へと続く並木道に入ったところで。
都木(とき)先輩。おはようございます」
 海原(うなはら)君が、待っていましたとばかりに。わたしに声をかけてきてくれた。

「えっ、寒くないの?」
 おはようとあいさつを返すより先に。
 外で立っていたことのほうが、心配で。
「冬なのに、風邪ひくよ?」
 そういってわたしは思わず。
 自分が巻いていたマフラーに、手をかける。


「お、海原じゃないか。おはよう!」
「せ、先輩……おはようございます」
 隣のクラスの男子の声に、驚いて。

 マフラーをゆるめかけていた、わたしの手がとまる。
 あ、危なかった……。
 みんながゾロゾロ歩いているところなのに、わたしったら……。


「あの……マフラー、どうかしましたか?」
「う、ううん。ちょっと髪の毛に……絡みそうだったから……」
 海原君が寒くないかと、思わず渡そうとしたなんて。
 とてもじゃないけど、口にはできない。

 いや、それどころか。
 こんな目立つ場所で、そんなことをしてしまったら……。

「……大丈夫そうですけど?」
 海原君。わざわざ、うしろを確認してくれてありがとう。
 一瞬赤くなった自分の顔を、もどす時間をもらえて。
「おはよう。ところで、朝からどうしたの?」
 おかげで海原君に、質問する余裕ができた。



「……了解しました、ありがとう」
 玄関に入る前、笑顔でわたしはそう伝えると。
 手早く靴を履き替えて、やや早足で教室に向かいはじめる。

 ところが、玄関ホールのクリスマスツリーをとおり過ぎようとしたところで。
美也(みや)、朝から熱いねぇ〜」
 同じクラスの子に、いきなり呼びとめられた。

「えっ? なんのこと?」
「またまたぁ〜。お迎えまでしてもらって、並んで歩いてたくせにぃ〜」
「ち、違うよ! 用事頼まれていただけ」

 その子は、わざわざわたしの顔を下からのぞき込むようにしてから。
「用事の割には、うきうきした顔じゃない?」
 遠慮なくわたしに聞いてくる。
「そ、そんなことないよ! これはえっと……」

「年下の『彼氏』のため?」
「ち、違うよ。『後輩』のため!」
「ふ〜ん。いいの? 『ただの後輩』扱いして?」
「『放送部の、後輩のため』だもん!」
 わたしは、嘘はいっていない。
 放送部の用事だから、それはほかにもいる後輩のためだし……。

「はいはい。しかたないから……幸せそうな顔の美也を拝めたことにしてあげよう」
「もう、なんでもいいから急いで教室いくよ!」
「わかったわかった。『後輩の彼氏』、待たせたくないんだよねぇ〜」
「ちょ、ちょっと。声が大きいっ!」

 お願いだから、こ、こんな大勢の前で。
 大胆なこといわないで!


 突然のことに、慌てていたわたしは。
 クリスマスツリーの、ちょうど裏側で。
 わたしへの『いいがかり』を聞いていた子がいたなんて。
 このときはちっとも……気づいていなかった。

 いやそれどころか。
 その子が、願いごとを記した短冊をカバンにしまい直したことも。
 彼女が……あんなに負けず嫌いだったなんて。
 このときの、わたしは。

 ……まったく、知らなかった。





 ……終業式に向かう生徒たちが、続々と入場する講堂の入り口で。

 わたしは海原君にお願いされたとおりに。
 きっちりふたりを、捕まえる。

姫妃(きき)、どうしたの?」
「姫妃ちゃん、なんですか?」
 わたしは、陽子(ようこ)夏緑(なつみ)。それぞれの子と、一緒に歩いていた女子たちに。
「このふたり、借りてく・ね!」
 そう告げると。
 ふたりの手を引っ張って、ズンズン奥へと進んでいく。

「夏緑は、わたしと一緒おいで」
 途中で、玲香(れいか)にひとりを託して。
「えっ、どうして……?」
 半分悟った顔の、もうひとりを海原君に渡すと。

「じゃ、またね!」
 わたしを待っていた由衣(ゆい)から、インカムを受け取って。
 小走りに自分の持ち場へと、移動する。

 イヤホンを当てると、わたしの姿は見えないはずなのに。
 月子(つきこ)が完璧なタイミングで。
 わたしに、短くありがとうと伝えてくる。

「どういたしま……」
 わたしの返事は、陽子の声でかき消させる。
「えっ、わたしがやるの?」
 でもそのあとは……。
 海原君の声が、みんなの耳に。

 ……やさしく、届きはじめた。





「……春香(はるか)先輩たちの、移籍祝いですよ」
 講堂の機器室への階段を、わたしの歩幅に合わせてのぼりながら。
 彼がわたしに、ゆっくりと話しだす。
「そ、そうなんだ……」
「はい、なので春香先輩。よろしくお願いします」

「あと……鶴岡(つるおか)さんも、聞こえてる?」
 海原君はそういうと、続けてインカムのマイクを使って。
 まだ放送機器の練習も終わっていなかったけれど。
 せっかくだから、玲香ちゃんとステージの脇で。
「放送部が、一応仕事しているところとか……見ておいてもらえないかな?」
 そういって、夏緑の返事を待っている。


「……えっとね、(すばる)くん?」
「あれ、玲香ちゃん。もしかして鶴岡さんに聞こえてなかった?」
「その逆でね……」
 伝わりすぎて、泣いちゃったと。
 玲香が静かな声で、答えている。

「ちょっと! わたしいくから、アンタはさっさと準備しなよ!」
 由衣の声が聞こえて、それからパタパタと走る足音がしたかと思うと。
 ブチッという音がする。

 どうやら由衣は、スイッチを切ったようだ。
 ただ、その前に少し。
「泣かすなよ、バカっ!」
 小さいけれど少し泣き声みたいな。
 由衣の声が……聞こえた気がした。



 ……機器室の扉を開けると、そこには。当然のように月子がいて。
 隣には……えっ? 美也ちゃんも?

「陽子がサブ、美也ちゃんがメイン」
 わたしが声をあげるより先に。
 月子は、そういって立ちあがると。
「由衣のポジション、代わりにいってくるわ」
 すぐに、部屋を出ようとする。

「え、え? ちょっと!」
「あ、いえいえ。僕がいきますよ」
「海原くん……」
 すると、あの子は。少しだけ無言で、彼を見つめてから。

「ちゃんと自分で陽子に、説明しなさい」
 いままでのように、凛とした声で伝えたのだけれど。
 珍しいことに、今度は『あの彼』が。
「伝えますけど……三藤先輩も部屋から出ないでください」

 ……なんと月子に向かって、『自己主張』した。



「一応、『紳士協定』のようなもので……」
 海原君によれば、学校と放送部との決まりごとで。
 部員以外は、放送機器には触れない。
 特に、学校行事に関してはその扱いを厳重にする。

 ……そんな約束事があるらしい。

「そんなのわたし、気にしたことなかった」
「それはほら、『機器部』だったから気にしてなかっただけですよ」
 まだほんの半年前のことなのに。
 その言葉の響きが、なんだかすでに懐かしい。

「なので、春香先輩と鶴岡さんは『一日放送部員』なんです」
 彼は、少し得意げな顔でいってから。
「あ、でもちゃんと……バレー部長には許可をいただきました」
 今度はやや照れくさそうに、教えてくれる。

 別に先に話してくれたら、自分で聞いておいたのに……。
「いやそうしたら、『サプライズ』にならないじゃないですか」
 海原君が、そんな単語を口にするのは。
 正直似合わない、いや予想外で。
 ただ、驚きはそれだけじゃなくて。

「ま、まぁ。こんないいかたはどうかとは、思うんですが……」
 美也ちゃんと、月子とわたし。
 三人が揃った放送部をもう一度見たいのだと。

 彼にしては、珍しく。
「僕の、わがままなんですけどね……」
 自分の感情が優先だったと、『白状』した。


「なので、三藤先輩がいなかったら意味がありません」
 海原君の主張は、珍しく強気のままで。
「それを見ない海原くんこそ。矛盾するわよ?」
 ま、まぁ。月子のそれはいつものこと、なのだけれど……。

 ただ、きょうの彼は『別物』で。
「いえ、それなら平気です」


 ……なぜなら機器室にいなくても、耳で感じられるので。僕にはわかります。


「えっ? いまなんだって?」
「どうしたの、海原君? 珍しくさっきから……」
「『覚醒』、しているわよね……」


「だってこれは、僕の高校生活の『原点』ですから……」


 ほんと、きょうの彼はどうかしてるよ。
 でもおかげで、とっても心を動かされたから。


 ……思わず、わたしは。


「もしかして、わたしに振られて傷心なの?」


 半分、笑顔で。
 半分の半分、真顔で。
 そして残りは、涙をこらえて。


 ……海原昴に、聞いてみた。