仕事帰りに立ち寄った花屋で、いつものフローリストの綾さんが、包み終えた小さなブーケを渡しながらふと口にした。
 「そういえば、この前、森岡さんのとこ‥‥って言えば分かる? ブライダルフェリーチェ」
 その名前が出た瞬間、一瞬だけ指先に力が入った。私はうっすら笑ってごまかす。
 「‥‥ええ。知ってます」
 綾さんは、少しだけ声をひそめて続けた。
 「なんか最近、あそこキャンセルが続いてるらしいの。スタッフもだいぶ辞めちゃってるみたいで‥‥去年あたりは評判よかったのにね」
 私は「へえ」と相槌を打つだけにとどめた。心の中では、薄く波が立っていた。
 ブライダルフェリーチェは私が昔いた結婚式場の会社の事だ。
 最近は良くない噂を聞く機会が増えた。
 プランを急に変更したり、理由もなく価格をあげたり‥‥おかげで業績は下降の一途を辿ってるらしく。そのせいでお客さんの望む演出を、予算内でできなかったりして、その顧客がこっちに流れてきて‥‥という感じに。
 この界隈のブライダル業界はそんな感じになってきている。
 現場のコが言うには、森岡の構成と現場任せの強行突破が原因らしいけど。
 虚勢を張りたがる森岡らしいやり方だ。

 この業界は必ず何処かで繋がっている。
 そんなやり方を続けていたら、顧客だけでなく、今まで付き合いのあった業者も離れていくに違いない。


 季節は廻り、街路樹の並木が黄色に紅葉し始めた頃、森岡が急に会社に訪ねてきた。
 打ち合わせの会議をしていた途中、会議室に受付のコが入ってきた。
 「ブライダルフェリーチェの社長の森岡さんが見えられてますが?」
 「ん?」
 真鍋さん‥‥彼は森岡の名前を聞いて顔を曇らせた。
 彼には森岡が私にしてきた事の全てを話している。話し終わった後、彼は当事者の私より怒ってくれた。その時、抱きしめてくれた彼の温かさを私は忘れない。
 そういう事もあり、彼は森岡の事を快く思ってはいない。
 「会議が終わるまで待ってる様に言っておいてください」
 「分かりました」
 私と目が合った彼は肩をすくめた。