時雨くんの家へ向かう道は、夕陽に染まって少しだけ赤い。
 胸の鼓動が、歩くたびに小さく鳴っている。

 「……ほんとに今日、行っていいのかな」

 思わず呟いた声は、風に溶けるように弱かった。
 でも、そのすぐ隣で、時雨くんがふっと笑う。

 「言ったよな、雪菜。『来てほしい』って。逃がす気ないし」

 指先を絡められた瞬間、頬が熱くなる。
 夏は終わったのに、手の温度だけは火みたいに温かい。

 織田家に着いたとき、胸の奥がどきどきしていた。
 時雨くんの家に泊まるなんて……やっぱり緊張する。

 玄関で靴を脱ぐと、時雨くんが覗き込む。

 「なんでそんなに緊張してんだよ。俺の彼女なのに」

 その言葉だけで心臓が跳ねる。
 わかってる、わかってるのに……慣れない。

 居間に通された私は、そわそわしながらカバンを抱きしめていた。
 そんな私を、時雨くんがすぐ隣に座って、ぐいっと抱き寄せる。

 「雪菜、こっち」

 肩に置かれた腕は、ちょっと力強い。
 独占するみたいに、逃がさないみたいに。

 「……時雨くん、近いよ」

 「近くていい。……今日くらい、俺のわがまま聞けよ」

 低い声に、胸の奥がじんわり熱くなった。

 夕食のあと、二人で部屋へ向かうときも、
 時雨くんはずっと手を離さなかった。

 私が落ち着かないのを見て、彼は少し笑う。

 「緊張する必要ねぇって。何もしねぇよ、今日は」

 そう言われたのに、その“今日は”の一言が逆に意識させてしまって、
 私はますます胸がどきどきしてしまった。

 部屋に入り、布団を敷くのを手伝っていると、
 時雨くんが後ろからそっと腰に腕を回す。

 「雪菜……来てくれて、ありがとな」

 耳元で囁かれ、全身が熱に包まれる。

 「……ううん、私こそ。嬉しいよ」

 そう答えると、時雨くんの指先がきゅっと腰を抱き寄せる。
 まるで“落とさないように”握っているみたい。

 私が振り向くと、時雨くんの目はとても優しかった。

 「……雪菜。俺、お前が思ってるより、お前のこと好きだから」
 「嫌だったら言えよ。絶対やめるから」

 そんなふうに言われたら、もう――胸がいっぱいになってしまう。

 私はそっと彼の胸に額を預けた。

 「嫌じゃない……むしろ、嬉しいよ」

 瞬間、彼の腕に力が入る。
 抱きしめられる安心感は、黒焔の総長じゃなく、
 一人の男の子としての「時雨くん」そのままだ。

 夜。
 二人で並んで布団に入ると、時雨くんが小さく息を吐いた。

 「雪菜……寝るまで、手……つなぎたい」

 その遠慮がちで不器用な言い方が愛しくて、私は手を差し出す。
 指が絡んで、手のひらがじんわり温かくなる。

 「時雨くん」

 「ん」

 「……好きだよ」

 闇の中、時雨くんが一瞬息を呑んだ気がした。

 「……俺のほうが、もっと好き」

 その声は震えるほど優しくて、
 そしてどこまでも、甘く深くて――

 その夜、私は時雨くんの温度に包まれて眠りについた。