狼牙が基地へなだれ込んだ瞬間、
空気が一気に張り詰めた。
「織田ァ!! 今日こそ落としてやる!!」
「やれるもんなら来いよ、雑魚が」
時雨くんの声は低くて、
いつもの甘さを全部封じ込めていた。
手は、まだ私の手を握ったまま。
その温度だけが、戦いの前の彼の“人間の部分”を繋ぎ止めているみたいだった。
「雪菜、絶対に離れんなよ」
「うん……!」
その一言のあと、
時雨くんは前に出た。
黒焔の仲間たちが左右へ広がり、
狼牙のメンバーと乱闘が始まる。
殴り合いの音が飛び交い、
怒号が重なり、
基地の床が軋むほどの衝撃。
「織田だ! 囲め!!」
狼牙が数人で時雨くんに飛びかかった。
「雪菜、後ろにいろ」
その瞬間、
時雨くんの拳が一人の腹にめり込み、
もう一人の頬に鋭い蹴りが入った。
「ぐっ……!」
「なめんな。黒焔の総長だぞ」
彼は一人一人の動きを見逃さず、
拳を受けても怯まない。
頬の端が少し切れて血が滲んでも、
表情は微動だにしない。
(強い……でも、怖い……)
胸がぎゅっと痛む。
時雨くんが殴られるたび、息が詰まった。
けれど——
「織田の女、連れてんのかよ!
弱点、増やしてんじゃねぇ!」
狼牙の一人が私を指差した瞬間。
空気が変わった。
時雨くんが、一瞬で表情を引き締める。
「……今、なんて言った?」
声が低い。
怒りで凍りつくような声。
「その女——」
「雪菜のこと、口にすんな」
次の瞬間、
時雨くんは男の胸ぐらを掴み上げ、
壁に叩きつけた。
「ぎっ……!」
「雪菜を見た瞬間に殺す気になった。
……てめぇら、今日は覚悟しとけよ」
狼牙が一気に怯む。
その目は、完全に獣のそれだった。
(時雨くん……こんな顔、初めて……)
怖い。
でも、それ以上に胸が熱くなる。
私を守るためにこんなにも怒ってくれる人は、
この世界にきっと彼だけだ。
***
「総長! 右!」
「分かってる!」
時雨くんは拳を躱し、
その男の腕を掴んで叩きつける。
黒焔の仲間たちも次々に狼牙を押し返す。
「総長、後ろ任せろ!」
「助かる!」
けれど——
一人、狼牙の男が私の方へ走り出した。
「総長が守ってる女、いただくぜ!」
「っ!!」
(来ないで……!)
恐怖で足がすくんだ瞬間。
「雪菜に触んなッッ!!」
時雨くんが私の前に飛び込み、
その男を拳で弾き飛ばした。
「ぐあっ!!」
床に転がったまま動けなくなる敵。
時雨くんは私の肩を抱き寄せ、
息を荒げながら言った。
「……大丈夫か」
「うん……! 時雨くん……!」
「心臓飛び出るかと思った……っ」
額が私の肩に触れるほど近くで、
震える声。
「雪菜を傷つけられるのだけは……本当に無理なんだよ……」
その言葉に思わず息が詰まる。
(時雨くん……)
乱闘の渦の中心で、
彼の“恋人としての顔”があまりにも優しくて痛い。
「雪菜……俺だけ見てろ。
戦ってる間も、ずっと、俺だけ」
「見てるよ。ずっと」
そう答えると、
時雨くんの目に一瞬だけ甘い色が宿る。
「ありがとな……」
それから——
彼はまた前線へ飛び込んでいった。
恋人のために怒り、
恋人に支えられて立ち続ける総長として。
黒焔と狼牙の戦いは、
いよいよ決着へ向かっていく。



