夏祭りが終わり、人混みから少し離れると——
 夜道は驚くほど静かだった。

 草の匂い、遠くで鳴る虫の声。
 浴衣の裾がさらりと揺れて、足元がふわりと軽い。

 隣の時雨くんは、いつもより歩幅がゆっくりだ。

「……雪菜、歩くの平気?」

「うん。なんで?」

「浴衣だと、歩きにくいだろ。
 転ばれたら困るし」

「心配性だなぁ」

「……違ぇよ」

 時雨くんが不意に立ち止まり、
 繋いでいた手をじんわりと強く握った。

「雪菜の浴衣姿……
 まだちゃんと見れてねぇ」

「え……?」

 夜道の薄暗い光の中で、
 時雨くんの視線が、まるで触れるみたいに私の姿を追う。

「……可愛い。
 今日、ずっと言ってるけど……
 言い足りねぇ」

 そんな声を聞いたら、胸が熱くならないわけない。

「ありがとう……。
 時雨くんの浴衣姿も、すごく似合ってるよ」

「……そんなん言うなよ」

 耳がまた赤くなる。

「抱きしめてぇの我慢してんだから」

「し、してもいいよ……?」

「——雪菜」

 一歩近づかれる。
 浴衣同士が触れる柔らかい音がした。

 その瞬間、
 時雨くんの腕が私の腰にそっと回る。

「……やっぱ無理。
 好きすぎて、我慢できねぇ」

 引き寄せられた体が、どくどくと心臓の音を立てる。

     *

 伊達家が近づくにつれて、
 胸の奥が寂しくなる。

「……着いちゃったね」

「あぁ」

 玄関の灯りがふわっと灯る。
 浴衣の袖を揺らしながら、時雨くんが小さく息を吐いた。

 手を繋いだまま、離れようとしない。

「なぁ雪菜」

「うん?」

「帰したくねぇ」

 その声は、強がりじゃなくて——
 本音そのまま、滲み出てた。

「もっと一緒にいたい。
 花火見た時の顔……まだ頭から離れねぇし。
 今日の雪菜、ずっと可愛すぎんだよ」

「……私も、帰りたくないよ」

 言うと、時雨くんの目が一瞬揺れた。

「雪菜」

 そっと頬に触れられる。
 親指が耳の下をなぞって、体がふるえる。

 そして——

 唇が、触れた。

 浴衣の襟元をそっと掴まれて、
 息が止まるくらい優しくて、
 だけど離れたくないキス。

「……っ」

 離れたくないのに、皆が家にいるのを思い出して、ゆっくり離れた。

「……帰んの、やだ」

「うん……でも、また会えるよ」

「明日も絶対会う。約束」

「うん。……約束」

 手を離す瞬間が、いちばん寂しかった。

 でも——
 時雨くんは、最後まで私の指を名残惜しそうに握っていた。

「雪菜。
 好きだよ。マジで」

「……私も。
 大好きだよ、時雨くん」

 浴衣姿のまま、
 ふたりの恋は静かに深く沈んでいった。