夏休みの朝。
 海へ向かう車の窓から、青空が見えた。

「……人、多そうだな」

 駐車場で降りた時、
 時雨くんが少しだけ眉を寄せる。

「大丈夫だよ。せっかくの夏だもん」

「雪菜が楽しむなら、それでいい」

 ついさっきまで不機嫌そうだったのに、
 私を見るとすぐに表情が柔らかくなる。

 そんな時雨くんを横目に、
 手荷物を持ちながら更衣室へ向かった。

「着替えてくるね」

「……ああ。
 雪菜が戻るまで、絶対に動かねぇから」

「そんな真顔で言わないでよ……」

 苦笑しつつ更衣室へ入り、
 用意してきた薄い水色のワンピース水着に着替えた。
 胸元の小さなリボンが可愛い。

(時雨くん、どう思うかな……)

 少し緊張しながら外へ出ると——

「時雨くん、お待たせ——」

 時雨くんが、
 本当に石みたいに固まった。

 肩も手も、まばたきすら止まっている。

「……雪菜」

「な、なに?」

「それ……反則だろ」

「え?」

 一歩、近づいてくる。

「似合ってるとか、そういうレベルじゃねぇ……
 可愛すぎて、ヤバい」

 耳が赤い。
 視線は私から離れない。

「他のやつに見られたくねぇ。
 ……雪菜、泳ぐ時以外は隠しとけ」

 言うが早いか、
 時雨くんは自分のパーカーを私にかけてくる。

「ちょ、時雨くん!? 暑いってば!」

「知らねぇよ。俺が見るだけでいい」

 その顔が本気だから困る。

「……時雨くんも着替えてきたら? 海行くんでしょ?」

「ああ」



 時雨くんは視線をそらし、
 わずかに頬を赤くして更衣室へ向かった。

     

「雪菜」

 その声に振り返った瞬間、
 今度は私が固まる番だった。

 黒のサーフパンツ。
 上は……着ていない。

 ほどよく鍛えられた腕や腹筋。
 意外と広い肩。
 黒焔の総長らしい体つきなのに、
 どこか品があるというか……見惚れてしまう。

「……っ、時雨くん」

「どうした?」

「い、いや……その……」

「雪菜も固まってるじゃん」

 近づいてきて、私の顔を覗き込む。

「……俺のことも、ちゃんと見てくれたんだな」

「ち、違……!」

「違わなくていい。
 雪菜に見られるなら、なんでもいいから」

 太陽より眩しいくらいの笑みを向けられて、
 心臓が跳ねる。

「ほら、行くぞ。
 一緒に海、入るんだろ?」

「う、うん……!」

     *

 海に入ると、
 水が冷たくて、風が気持ちよかった。

「雪菜、手。
 波強いから、離すなよ」

 差し出された手を握ると、
 時雨くんの指が絡む。

 次の瞬間、波がドンと押し寄せた。

「きゃっ——」

「危ねぇ」

 強く引き寄せられ、
 時雨くんの腕の中に収まる。

 素肌と素肌が触れた。
 海水で冷たいはずなのに、
 時雨くんの体温だけがやけに熱い。

「雪菜が倒れたら……俺が全部受け止める」

「ちょ、ちょっと近い……!」

「夏くらい、いいだろ」

 耳がまた赤くなっている。

「……雪菜の水着姿、やっぱり反則。
 今日一日、離せねぇわ」

 その呟きは、
 海風より甘くて、
 波より深かった。