夕食を終え、少し庭で過ごしたあと。
 時雨くんは帰ることになった。

「じゃ、俺……そろそろ帰るわ」

 玄関で靴を履く時雨くんは、どこか名残惜しそうで。

「送っていくね、時雨くん」

「……ああ」

 二人で伊達家の広い廊下を歩き、
 外へ出ると、夜風がふたりの間をすり抜けた。

 門の前まで来たとき――
 時雨くんが急に立ち止まった。

「雪菜」

「ん?」

「……帰りたくねぇ」

 唐突すぎて、胸が跳ねた。

「ほら、今日は来てくれただけで十分だよ? 遅いし――」

「十分じゃねぇよ」

 時雨くんは、私の手首をとってゆっくり引き寄せた。
 距離が一瞬で縮まる。

「雪菜の家に来て……部屋まで見て……
 それで“はい帰ります”なんてできるわけねぇだろ」

(ちょっと……声が甘すぎて反則……)

 月明かりの中で見上げた時雨くんは、
 完全に“彼氏”というより“黒焔の総長”の目になっていた。



「雪菜」

 腰にまわされた腕が、ゆっくりと締まる。

「お前……俺を、今日いろいろ限界に追い込んだ自覚ある?」

「え、私……?」

「あるだろ。
 部屋。家族。匂い。
 ……家の中全部が“雪菜の世界”で」

 時雨くんの喉が、ごくりと動く。

「そこに俺が入った瞬間……
 もう帰りたくなくなった」

「時雨くん……」

「離れたくねぇ。
 お前が玄関閉めたら……俺、今日マジで眠れねぇ」

 声が震えてて、
 本気で苦しそうで、
 でもどこか甘くて。

 私の胸の奥がぎゅっと温かくなる。

「……ちょっとだけでも、一緒にいたい気持ちはわかるよ?」

「“ちょっとだけ”じゃ足りねぇんだよ」

 即答。

 そのまま額がこつんと触れ合った。

「雪菜……
 俺、今日でハッキリした」

「なにを?」

「お前の家も、お前の部屋も……
 全部、俺にとって“帰りたくない場所”になった」

「帰りたくない……?」

「だってそこに雪菜がいるんだぞ」

 一語一語、熱がこもる。

「雪菜がいない家に帰るの……嫌すぎる」

 抱きしめられたまま動けなくなる。



 時雨くんは喉の奥で小さく息を吐いた。

「……雪菜。
 次の休み、デートするぞ。
 “絶対に二人きり”でな」

「うん……行くよ」

 そう言った瞬間――

 ぎゅうっ、と抱きしめる力が増す。

「……ありがと。
 雪菜がそう言ってくれなかったら……
 俺、今ここで帰るのやめてた」

(あぶな……! 本気で帰らなくなるところだったんだ)

 夜の静けさの中、
 時雨くんの声は、熱と執着に揺れていた。

「雪菜。
 お前はもう“俺の世界の中心”なんだから……
 覚悟しとけよ?」

 その囁きは、甘くて、狂気で、
 逃げられないほど強い恋の熱だった。