時雨くんと部屋で短く言葉を交わしたあと、
私は下の階から呼ばれ、
二人で居間へ戻ることになった。
「……雪菜、手」
「え、また?」
「離す理由あんの?」
その言い方が優しいのに、拒否権ゼロで。
結局、私はそのまま握られて階段を降りた。
食卓には母の作った和食が並んでいる。
「二人とも、座ってね」
丸いちゃぶ台。
時雨くんは、私の横を当然のように確保した。
(……時雨くん、ここでも近い……)
けれど母は嬉しそうに笑い、
父は静かに二人を見ていた。
箸を取った時雨くんが、
一度だけ私の手をぎゅっと握る。
(……すごい緊張してる?)
普段あれだけ強気なのに、
家の中では少しぎこちない。
「時雨くん、たくさん食べてね」
「……はい。ありがとうございます」
母の声に素直に返事をする時雨くん。
見るからに、好青年そのものだけど――
横に座る私は知っている。
今、私の指は彼にしっかり握られていることを。
夕食が進むと、
父が箸を置いて時雨くんを見た。
「時雨くん。雪菜のどこが好きになったんだ?」
喉が凍りつく質問。
けれど時雨くんは、迷わず答えた。
「全部です」
「…………」
「まあ……!」
「ちょっと、時雨くん!?」
時雨くんは続けた。
「雪菜の声も、歩き方も、笑い方も。
怒った顔も、泣きそうな顔も。
全部……俺を壊してくるんです」
(壊すって言った!?)
もう取り繕う気ゼロの答えに、
私は顔から火が出そうで。
だけど父は笑った。
「なるほど。熱いな」
怒るどころか、興味深そうに目を細めている。
「でも、雪菜を縛りすぎるなよ?」
父の忠告に、
時雨くんは一瞬だけ目を伏せた。
(……あ、刺さってる)
ほんの数秒の沈黙のあと。
「……縛りません。
雪菜が自分から、俺のそばにいてくれるなら」
穏やかな声なのに、
その奥には“もし離れようとしたら”という狂気が見え隠れした。
(お父さん、それ以上刺激したら危険……!)
⸻
◆ 食後、庭を散歩することに
食事が終わると、
母が微笑んだ。
「時雨くん、お庭も見ていく? けっこう広いのよ」
「見ます」
即答。
母は喜んで外灯をつける。
伊達家の庭は、昔ながらの和庭園。
夜風が木々を揺らして心地よく吹く。
庭に出た途端――
「……雪菜」
「なに、時雨くん?」
突然、手首を掴まれた。
強くない。けれど拒めない力。
月の光の中で、時雨くんの顔は少し影になっていた。
「さっき……お父さんが言ってたやつ」
(縛るな、って言われたこと?)
そのまま時雨くんは低く続ける。
「正直……俺には、かなりキツい」
息が止まりそうになる。
「お前が他の誰かと話すだけで、胸が痛ぇのに。
“縛るな”とか……無理に決まってんだろ」
「時雨くん……」
「雪菜は俺の彼女だぞ。
他の男に笑うのとか……見たくねぇよ」
怒っている、というより――苦しそうだった。
そのまま私の肩を抱き寄せてきて、
額が触れそうなくらい近くなる。
「雪菜」
「……ん?」
「お前、俺を選んだんだよな?」
まるで“確認作業”みたいな声。
私は小さく頷いた。
「うん。私は――」
「俺のだろ?」
瞳が夜の闇みたいに深くて、吸い込まれそうで。
「……うん。時雨くんの、彼女だよ」
その瞬間。
時雨くんの腕の力が、強くなる。
「頼むから……離れんなよ。
雪菜にもしものことがあったら……俺、どうなるかわかんねぇ」
囁きは、恐いほど甘かった。



