日曜日の午後。
 玄関の鏡の前で、私は服の襟を整えていた。

(……緊張する。うちに時雨くんが来るなんて)

 伊達家は、和風の瓦屋根が目立つ古い大きな家。
 昔から周囲に“名家”として見られているらしい。
 でも、中にいるのは普通の家族だ。

 はずなのに――今日は違う。

 インターホンが鳴り、心臓が飛び上がった。

「ゆ、雪菜ぁ……時雨くんかな……?」

 階段から母の声。

「たぶん……」

 玄関を開けると、
 黒いパーカーと私服なのに、隠しきれない“総長のオーラ”が立ちのぼる時雨くんが立っていた。

「よ。……来た」

 いつもの声なのに、どこか緊張している。

「い、いらっしゃい……! 入って」

 靴を脱いで上がると、時雨くんの視線が家の中を静かにたどった。

「……雪菜んち、広いな」

「え、そ、そうかな……?」

「廊下長ぇし、扉多くね? 迷いそう」

 まっすぐ私の手を取る。

「離れんなよ」

(……そんな緊張の仕方する?)



 居間に入ると、父と母が座っていた。

 父は厳しめの顔。
 母は柔らかい笑顔。

(お父さん、絶対に警戒してる……)

「お邪魔します。時雨です」

 時雨くんは丁寧に頭を下げた。
 その姿に母はほっとしたように笑う。

「まぁ、礼儀正しいのね。雪菜がお世話になってるわ」

「いえ……俺のほうが、雪菜に救われてます」

 父が目を細める。

「ほう……?」

(お父さん、それ怖いからやめて)

 母は嬉しそうに笑い、父は無言で時雨くんを観察している。

 時雨くんはびくともしない。
 けれど、私の手を離すつもりもない。

 父の視線に気づいたのか、時雨くんははっきり言った。

「……雪菜さんとは、真剣に付き合うつもりです。
 不安にさせたくないので、ちゃんと言っときます」

(時雨くん……! そんな言い方……!)

 母は感動気味に頷く。
 父は目を見開き、深く息をついた。

「……なるほど。君が噂の“時雨くん”か」

「噂……?」

(うちの学校近いから、父も名前は聞いてるんだ……!)

 父の声は低いが、怒ってはいない。

「雪菜を泣かせたら許さん。それだけだ」

「泣かせません」

 即答。
 迷いゼロ。

(ちょっ……即答の仕方が総長……!)



「雪菜、時雨くんを部屋に案内してあげて」

「えっ部屋!? 今!? ちょ、ちょっと待って!!」

 母の言葉に私は慌てるが、
 横で時雨くんが耳元で小さく笑う。

「……雪菜の部屋、見れんの?」

 期待に満ちた声が反則だ。

「ちがっ……別に見せるほどじゃ……」

「いいから。案内して」

 手を引かれ、階段を上がっていく。



 部屋に入った瞬間、
 時雨くんは静かにドアを閉めた。

 鍵はかけていない。
 なのに空気が一瞬で変わる。

「……雪菜の匂いする」

「し、しないってば!」

「する。……落ち着く」

 時雨くんは部屋の中をゆっくり見回す。
 本棚、机、ベッド、窓。

 ひとつひとつの場所を、
 “雪菜のことをもっと知りたい”という目で。

「……ここで寝てんだ」

「そ、そうだよ……?」

「雪菜が毎日眠ってる場所……」

 じっとベッドを見る。

(ん? ちょっと待って?)

 ゆっくり私のほうへ振り向く。

「雪菜。この部屋……誰も入れねぇよな?」

「え? 誰って……うち家族しか――」

「それでいい。
 雪菜の部屋に入っていい男は、俺だけでいい」

(っ……!)

 空気が一瞬で熱くなる。

 そして、時雨くんは私の両手を取った。

「雪菜。
 ……俺、お前の家に来て確信した」

「な、なにを……?」

「お前を誰にも渡す気、ほんとにないってこと」

 その瞳は、完全にヤンデレ特有の“一点だけを見つめる光”。

「雪菜がいる場所全部、俺が知りたい。
 ……部屋も、家も。家族のことも」

「時雨くん……」

 指に力がこもる。

「俺の世界に雪菜が全部入り込んでくるなら――
 雪菜の世界にも全部、俺を入れろ」

 息が止まりそうになる。

 これは、
 “ただの彼氏”じゃなくて
 “黒焔総長としての執着”が混ざった告白だ。

「……いいよな?」

 逃げ道のない声で問われる。

 私は、ゆっくりと頷いた。

 その瞬間。

 時雨くんが安堵したように笑い、抱き寄せた。

「……雪菜。ありがとな」

 胸に顔を埋めた時雨くんの声は、震えていた。