夕暮れの海を離れて駅へ向かう頃には、
 空はすっかり夜色に染まっていた。

 けれど――
 時雨くんの手は、さっきよりもずっと強く私を握っている。

「……時雨くん、手。強いよ?」

「離す気がねぇから」

 歩幅も合わせてくれてるのに、
 歩くスピードはやけに遅い。

 まるで“帰り”を引きのばしているみたいに。

「雪菜」

「なに?」

「今日、お前が笑うたび……俺、ずっとドキドキしてた」

 足が止まりそうになるほど、
 真正面から言われて胸が跳ねた。

「雪菜が楽しそうだと、
 “もっと俺が笑わせたい”って思っちまう」

「……そんなふうに思ってくれてたんだ」

「ああ。
 それと同時に……雪菜が誰かに見られるの、マジで嫌だった」

 低く、喉の奥で転がる声。
 海の静けさを引きずったままの熱。

「今日、すれ違った男の視線……全部殺意湧いた」

「時雨くん……!」

「だって雪菜、可愛いんだよ」

 言い切られて、心臓が破裂しそうだった。

「なぁ雪菜、気づいてた?」

「な、何を?」

「歩いてる間、ずっと……俺、お前の腰に触れたいって思ってた」

「っ……!」

「でもできなかった。デートだから抑えてた」

 その“抑えてた”の言い方が甘くて危なくて、
 夜気よりも彼の手の温度が強く感じる。

「……帰り道なのにさ」

「うん……?」

「雪菜から離れたら、今日が終わる気がして……嫌なんだよ」

 歩くたび、引き寄せられる。
 手だけじゃなくて、心まで掴まれてるみたい。

「もうちょい、ゆっくり歩いていい?」

「……いいよ」

「よし。じゃあ……」

 肩にそっと手が回される。
 歩道で人が少ないのを確認してから、
 優しく、でも甘い独占欲を滲ませて。

「雪菜、こっち寄れ。
 ……せめぇ距離で歩きてぇ」

 家が近づくほど、
 時雨くんはどんどん私を抱き込むように寄せてくる。

「家、着いてほしいけど……着いてほしくねぇ」

 矛盾した言葉なのに、
 その声があまりにも切実だった。