勉強を始めて約一時間。
 私より集中してないはずの時雨くんの方が、なぜか満足げだった。

「雪菜、そろそろ休憩すっか」

「うん……私もちょっと休みたいかも」

「じゃあ、こっち来い」

 時雨くんが指で“おいで”と合図して、
 リビングの大きなソファをぽんぽんと叩く。

「えっと……そこに?」

「そう。俺の隣」

 言い方がずるい。
 断ったら怒らせそうだし、
 承諾したら……また近いのは目に見えてる。

 でも結局、私はそっと時雨くんの隣に腰を下ろした。

「……ここでいい?」

「ちげぇ」

「え?」

 次の瞬間——

 ぐいッ。

 肩を抱き寄せられ、半分抱きつかれる形になった。

「時雨くん!? 近い、近いって……!」

「近いの嫌?」

「……嫌じゃないけど……」

「じゃあいい」

 さらっと言って、私の頭を彼の胸に押し当てる。

 聞こえてくるのは、
 時雨くんの心音。

 いつも強気なのに、
 この鼓動は……すごく優しい。

「雪菜……」

「なに……?」

「一緒にいると、落ち着く」

 囁かれる声が、
 胸の奥にじんわり響いた。

「昨日の海以来……ずっと触れたかった」

「……っ」

「テストとか授業とか……全部どうでもいい。
 雪菜がここにいるってだけでいい」

 時雨くんが、指先で私の髪をゆっくり撫でる。

「雪菜、こうしてると……なんか、安心すんだよ」

「安心……?」

「俺さ。
 お前が離れんじゃねぇかって、ずっと不安だった」

 昨日の海でも言っていた不安。
 その続きみたいな声だった。

「離れたりしないよ」

「……本当だな?」

「うん」

 そう答えた瞬間、
 時雨くんの腕が、私の腰をぎゅっと抱きしめた。

「……雪菜。
 こうしてるだけで……やばいくらい幸せ」

 甘い声が落ちて、
 私は胸がぎゅっと締め付けられる。

「こっち向いて」

 囁かれて顔を少し上げた瞬間——

 額が、触れた。

「っ……時雨くん……?」

「雪菜。
 お前の顔、こんな近くで見れるとか……反則」

 言葉も近い。
 呼吸も近い。
 全部、時雨くんの温度。

「休憩って言ったけど……俺、勉強より今が大事」

「……時雨くん……?」

「雪菜。好き」

 小さく、でも間違いなく聞こえる声で言われて——
 私は何も返せなくなった。

「これ、休憩な?
 ……俺の気持ち、落ち着くまで」

「落ち着くの……いつ?」

「雪菜が俺の腕の中にいる限り……落ち着かねぇ」

 そう言って抱きしめる力は、
 もう逃げる隙なんてないほど優しかった。