エンジン音が夜を裂き、時雨くんのバイクが滑るように走った。
背中に腕を回しているから、振動のたびに鼓動が伝わってくる。
目的地は、海。
《黒焔》の総長が走る夜道は、どんな街灯より頼もしくて——私はずっと彼の背中にしがみついていた。
「雪菜、寒くねぇか?」
ヘルメット越しなのに、声だけで安心する。
「ううん。……時雨くんがいるから、平気」
「……そうか」
短く返したあと、
彼のスピードがほんの少しだけ落ちた。
まるで、私との距離をもっと感じたいみたいに。
◆
海に着くと、波の匂いがした。
月が水面に落ちて、静かなのにどこか切ない光を放っている。
バイクから降りた時、時雨くんは私の手を離さなかった。
「雪菜、こっち」
彼に導かれるまま、波打ち際へ。
靴の先が濡れる距離。
波の音しか聞こえない。
「……雪菜」
名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねた。
「今日さ。お前をみんなに紹介したとき」
「う、うん」
「俺……ずっと、喉が重かった」
「え……?」
時雨くんはゆっくり私の手首を引いた。
逃がさないための力じゃない。
でも、触れた指先から“熱”が伝わってくる。
「雪菜が……誰かに見られるの、ムカついた」
「時雨くん……?」
「ミナトでも綾斗でも、誰でも。雪菜に話しかけるだけで……イラついた」
月明かりのせいじゃない。
彼の瞳が、燃えているみたいに見えた。
「俺だけ見てろよ」
ひゅ、と息が止まる。
時雨くんが私の腰を抱き寄せた。
濡れた風の中なのに——熱い。
「……雪菜」
額が触れそうな距離。
波の音さえ遠のく。
「お前が笑うと……不安で死にそうになる」
「なんで……?」
「“もし他の男のとこ行ったら”って想像した瞬間……心臓が、ギチギチに軋む」
独占じゃなくて、
本気で“恐れてる”目だった。
「時雨くん、私は——」
「待て」
言いかけた言葉を、指先で塞がれた。
「先に言わせろ」
息が触れた。
「雪菜以外、全部どうでもいい。 暴走族の天下取るのも——《黒焔》を最強にするのも——全部、雪菜守るためだ」
「……っ」
「雪菜が隣にいねぇ未来なんて、存在しねぇ。奪われるくらいなら……全部壊す」
波よりも激しい、
独占欲の告白だった。
「……雪菜」
その名前の呼び方だけで、涙が出そうになる。
「俺のそばにいろ。ずっと。逃げられると思うなよ」
月明かりの海辺で、
私は時雨くんの胸にそっと指を触れた。
「逃げないよ」
そして、小さく笑った。
「だって……私も、時雨くんじゃないと嫌だから」
時雨くんの呼吸が止まった。
次の瞬間、
腰を抱く腕の力が強くなって——
「……雪菜。俺、限界」
耳元で低く落ちる声。
それは、波の音よりずっと熱かった。



