エンジン音が夜を裂き、時雨くんのバイクが滑るように走った。
 背中に腕を回しているから、振動のたびに鼓動が伝わってくる。

 目的地は、海。

 《黒焔》の総長が走る夜道は、どんな街灯より頼もしくて——私はずっと彼の背中にしがみついていた。

「雪菜、寒くねぇか?」

 ヘルメット越しなのに、声だけで安心する。

「ううん。……時雨くんがいるから、平気」

「……そうか」

 短く返したあと、
 彼のスピードがほんの少しだけ落ちた。

 まるで、私との距離をもっと感じたいみたいに。



 海に着くと、波の匂いがした。
 月が水面に落ちて、静かなのにどこか切ない光を放っている。

 バイクから降りた時、時雨くんは私の手を離さなかった。

「雪菜、こっち」

 彼に導かれるまま、波打ち際へ。

 靴の先が濡れる距離。
 波の音しか聞こえない。

「……雪菜」

 名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねた。

「今日さ。お前をみんなに紹介したとき」

「う、うん」

「俺……ずっと、喉が重かった」

「え……?」

 時雨くんはゆっくり私の手首を引いた。
 逃がさないための力じゃない。
 でも、触れた指先から“熱”が伝わってくる。

「雪菜が……誰かに見られるの、ムカついた」

「時雨くん……?」

「ミナトでも綾斗でも、誰でも。雪菜に話しかけるだけで……イラついた」

 月明かりのせいじゃない。
 彼の瞳が、燃えているみたいに見えた。

「俺だけ見てろよ」

 ひゅ、と息が止まる。

 時雨くんが私の腰を抱き寄せた。
 濡れた風の中なのに——熱い。

「……雪菜」

 額が触れそうな距離。
 波の音さえ遠のく。

「お前が笑うと……不安で死にそうになる」

「なんで……?」

「“もし他の男のとこ行ったら”って想像した瞬間……心臓が、ギチギチに軋む」

 独占じゃなくて、
 本気で“恐れてる”目だった。

「時雨くん、私は——」

「待て」

 言いかけた言葉を、指先で塞がれた。

「先に言わせろ」

 息が触れた。

「雪菜以外、全部どうでもいい。 暴走族の天下取るのも——《黒焔》を最強にするのも——全部、雪菜守るためだ」

「……っ」

「雪菜が隣にいねぇ未来なんて、存在しねぇ。奪われるくらいなら……全部壊す」

 波よりも激しい、
 独占欲の告白だった。

「……雪菜」

 その名前の呼び方だけで、涙が出そうになる。

「俺のそばにいろ。ずっと。逃げられると思うなよ」

 月明かりの海辺で、
 私は時雨くんの胸にそっと指を触れた。

「逃げないよ」

 そして、小さく笑った。

「だって……私も、時雨くんじゃないと嫌だから」

 時雨くんの呼吸が止まった。

 次の瞬間、
 腰を抱く腕の力が強くなって——

「……雪菜。俺、限界」

 耳元で低く落ちる声。

 それは、波の音よりずっと熱かった。