「……今から言うことは、ただの独り言です。なので、絶対に聞き流してください。」
こんなの、柄じゃない。
けれど今は、そんな事よりも、このもどかしい気持ちをどうしても彼にぶつけたくて。
視線を落として、不機嫌に唇を解いた。
「私は百瀬くんのこと、まだ何も知りません。」
「……」
「でも知らないのに、優しくて真面目な人だってことは分かります。それって凄いことじゃないですか」
何をこんなに一人で苛々してるんだろうって自分でも不思議だけれど、私はいま、悔しいんだと思う。
百瀬くんを、馬鹿にされて。
なのに、当の本人が怒りもしないで簡単に受け入れているから、それが余計に悔しくて哀しい。
「初めて百瀬くんが家に上がった時、玄関で靴を揃えてる姿を見て、ちゃんとしてる人なんだなって、それが百瀬くんの第一印象です」
「……」
「お詫びだなんて言って料理を作ってくれたときは、律儀な人だなって」
ネギが飛び出たぱんぱんのスーパーの袋を持った姿を思い出してしまえば、心は自然と和らぐ。
「置き手紙の返事とサンドイッチを見つけた時は、丁寧で優しい人だなって思いました」
寝ぼけ眼で目にしたあの瞬間の、あの小さな胸のときめきを、きっと私は、この先も忘れられない。
たぶんこれからも、ドレッサーの引き出しに大切にしまった綺麗な文字を、何となく、何度もなぞっては百瀬くんのことをぼんやり考えてしまうと思う。
「玄関にはいつもきちんと靴が揃えてあって。いただきます、ごちそうさま、ありがとうをちゃんと言えて。何より他人を気遣える。
当たり前のことだけど、それは、今までをちゃんと生きてこないとできないことじゃないですか」
静かに耳を傾けている彼が、今どんな表情をしているのかは、恥ずかしすぎて見れない。
けれど、赤切れの残る拳が、紙コップを更に握り潰しているのは見えて。
そして、微かに震えているのが分かった。
初めてこの手荒れを見つけたとき、私の心はきゅんとなった。今ならその理由がちゃんと分かる、あの胸の高鳴りは、単純に好きな手だなって思ったからだ。
どんな人の手よりも、かっこいい。
この手が、馬鹿にされていいはずない、絶対に。
「今までの百瀬くんなんて知らないけど、今ここにいる百瀬くんは確実に、誰がなんと言おうと、人間として立派だと思います」
「……」
「だから、今を覆して違う世界に行っても、どこへ行っても、百瀬くんは堂々とすべき人です」
汚い人間の中に、埋もれて欲しくないと思った。
どんな世界に行っても、百瀬くんは百瀬くんでいてほしい。
「……なんて、何様ですみません。本当、独り言なので、っ」
———トン、っと肩が重くなる。
今更な羞恥が、駆け上がってくる途中だった。



