また意味の分からないことを……と、鍔を摘んで非難するように彼を見上げようとしたその時。
「あれ?百瀬くん、久しぶりだね」
軽薄な声が邪魔をする。
振り返れば、男が珈琲を両手に革靴をコツコツと鳴らしながら歩いてくる。まるで見下したような眼差しを、隣の彼にぶつけながら。
「まさか百瀬くんの彼女だったの?ごめんごめん、知らずに声掛けちゃった」
私を隠すように前へと出た百瀬くんは、静かに男を見据えた。盾のように立つ大きな背中を前にして、途端に状況が飲み込めなくなる。
百瀬くんの知り合いだったの……?
一人混乱して。ただ、空気が鉛のように重苦しくなったことだけは分かった。
「相変わらずスカしてるねえ、あ、ねえ?その子紹介してくれない?」
「行きましょう、」
「元雇い主に酷いなあ〜警察に突き出さなかった恩忘れちゃったの?」
百瀬くんが私の方へ振り向こうとしたとき、その動きを止めるように透かさず嘲笑うような声が響いた。
わざと大きな声を出しているのか。周囲の人も何事かと、こちらを窺うように見ているのが分かる。
コツコツコツ…と耳障りな革靴の音が、すぐ目の前で止まった。
「ごめん彼女に言ってなかった?僕の店の一つ、ダイニングバーで働いてたんだよね、百瀬くん」
男は一つ、蔑むように鼻で笑う。
「まあそれも、たった一カ月だったけど。不思議なことに、百瀬くんがきてすぐレジ金が丸々盗まれる事件が起きたんだよね?」
止める隙もないほど、すらすらと流れてゆく言葉。
百瀬くんの横顔は、動揺も怒りも何も感じない。血の通ってない人形のようだった。
「あ、ちょうど謝りたいなって思ってたんだ。僕も疑いたくはなかったし本当は解雇なんてしたくなかったんだよ。でもね、君、印象が最悪だったし、何より育ちが、ね……」
状況は、変わらずうまく飲み込めない。
けれど、百瀬くんの肩越しから見える男は、まるで犯罪者でもみるような白い目をしていて。
喉が焼けるように熱く、きゅ、と引き攣る。
「あらら、その様子じゃ何にも彼女に伝えてないのかな?駄目だよ、ちゃんと伝えなきゃ、」
さらに一歩近づいてきた声に、彼の色素の薄い睫毛がゆったりとあがった。無機質な色をした青が、鋭く、冷たく、男を射抜く。
彼の拳は、震えるほど力が込められている。
「高卒でやっと就職できた店の金盗みましたって。それにほら、百瀬くん施せつ、」
———「あの」
一歩、彼の前へと出た。衝動的だった。
もう、男の言葉は殆ど頭に入っていなかった。
『今までの全てを覆して、どうしても欲しいんです』
『澄香さんにだけは、悪い印象持たれたくなくて』
『金なんて糞ほどどうでもいい』
代わりに、いつも祈るように聴こえていた彼の言葉達を、心の中でゆっくりと反芻する。
何か含みがあるように感じていたそれらは、今、深味を増して私のこころに返ってきた。



