髪の毛一本一本に神経が張り巡らされたように、彼の指先を意識してしまった。
でも身構えた割には、本当に一瞬。どこに触れたのかも曖昧なほどの小さな感覚だった。
百瀬くんは一度だけスッと手を動かして、すぐにまたポケットに引っ込める。
それでも頬は熱くて、顔を上げられなかった。
このとき、とにかく心を落ち着かせることばかりを考えていた。
———だから、気づかなかった。
百瀬くんが何かを耐え忍ぶように唇を引き結んでいたことも、ポケットの中で私に触れた指先をぎゅうっと握りしめたことも。
「……ありがとうございました…あの、一旦着替えてきます」
逃げるようにマンションのエントランスへと踏み出す。
園庭の砂埃がついたスキニー、薄汚れたスニーカー、それを目にしていたら今更ちょっと恥ずかしくなってくる。突っ込まれないのが幸いだけど、流石にこんな格好では百瀬くんの隣りを歩けない。
彼に背を向けてすたすたと数歩進んだとき、はたと思い出した。同時に足を止めて振り向けば、彼は不思議そうに小首を傾げる。
「……あの、私も連絡先知りたいなって思ってたので、あとで教えてもらっていいですか?…あ、如何わしい意味はなく。ただ礼儀として、こうやって遅れる時にちゃんと連絡したいので」
羞恥に襲われる前に透かさずきちんと言添える。
すると、一瞬の静寂をおいて。
突然、ふは、と吹き出す音が軽やかに響いた。
「如何わしいって、なんですか」
目尻をくしゃ、とさせて可笑しそうに無邪気な笑みを咲かせた百瀬くん。瞬時に、情緒が激しく揺さぶられて。一気に世界が華やいで見えてしまうのは気のせいか。
キュンと矢が刺さったような感覚がした私は「あ、っと、」と惑う手で横髪を耳に掛け、視線を泳がせた。
「……と、にかく急いで着替えてきます」
普段、ツンと素気ないことばかりを紡ぐ自分の唇は、百瀬くんの前だと小っ恥ずかしくなる言葉を溢してしまうはどうしてだろう。
自分でもよく分からない、けど。
百瀬くんに対して、丁寧でありたいとは思っている。
「俺は、如何わしい意味しかないんですけど」
今度こそエントランスへと駆け出した私の背中には、彼がぽつりと溢した心は届かなかった。



