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先走る鼓動を落ち着かせて、悴む指先でそっと鍵を開ける。不思議と、冷たいはずの指先から身体中に、じんわり血が巡ってゆくような感覚がした。
起こさないようにと、慎重にドアを開けてすぐ。
淡い、とても温かな橙色の光に出迎えられて、自身の瞳が見開かれるのが分かった。
時刻はもうすぐAM2:00。電気を消し忘れたのか、まだ、起きているのか。
脱いだ靴を、可愛らしいパンプスの横に揃える。並んだ二足を目に、それだけでもう胸がいっぱいになって、きゅっと唇を引き結んだ。
廊下の先、リビングへと続くドアの向こう側も橙色の電気がぼんやり浮かぶようにして灯っているのが、磨りガラスを通して分かる。
その光に導かれるように、静かにリビングへと足を踏み入れた。そこは人の気配もなく、しーんと、静まり返っている。
ただ、ソファーの脇、一本の小洒落たスタンドライトが、部屋全体に優しげな影を落としていた。
真っ暗なキッチンは、洗い物ひとつ残らず綺麗に片付けられている。
それに眉を落としながら、消し忘れの電気を消そうとソファーに近づいて、そして気づく。
優しげな光が降り注ぐガラステーブルの真ん中、一輪の花の横にあるのは、小さなメモ用紙、絆創膏の箱、軟膏と書かれたチューブがひとつ。
急に上手くできなくなった呼吸を一つ深く吐いて、そっと、そのメモに手を伸ばす。荒れ果てた指先が、微かに震えていた。
"お疲れ様です。どれも、凄く美味しかったです。ありがとうございました"
美しく、伸びやかでしなやかな字は、まるで彼女のようだった。
何度も、心の中でその綺麗な文字をなぞる。噛み締めるように、胸の内で言葉を繰り返す。
ふと、橙色の光に透けて、紙の裏の一番下にも小さく何か書かれているのが見えた。裏返しにしてすぐ、ぐっと、喉が灼けるように痛くなった。
"今のところ、悪い印象はひとつもありません"
ぎゅうっと、こころが鷲掴みにされる。
テーブルの上の優しさが、滲んでしまう。
「……あーもー、ほんと…」
先の言葉をぐっと呑み込み、代わりに、はあ、と熱い息を静かに吐く。
脱力するように、後ろのソファーにどさりと座り込んだ。金の髪を掻き上げるようにくしゃっと掴んで、項垂れる。
「……かわいすぎかよ…」
こぼれた小さな本音は、彼女の優しさで灯る淡い光の中に溶けて消えた。
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