「あ、片付けは帰ってきたらやるんで、そのままにしといてください」
「……帰ってきたら?」
思わず、ボウルを洗おうとした手を止める。顔をあげてみれば、彼はどこか気まずそうに「あー、」と言い淀みながら綺麗な頸を掻いた。
「……職場、途中で抜け出してきちゃったんで」
「え、」
「帰り遅くなるので、煩かったらすみません」
「…いや、それは別にいいですけど」
百瀬くんの唇からは、私を驚かせることばかりが出てくる。当の本人は、黙々と料理を盛り付け始める。一人分らしきそれに、自分の眉尻がどんどん下がっていった。
「……それって、私のご飯作るためだけに一旦帰ってきたってことですか」
お詫びなんて、別に今日じゃなくても良いのに。
そもそも、そんなに気を遣わなくていいのに。
真面目なのか、不真面目なのかよく分からなくなってしまう。
困惑したまま、俯く彼を見つめればその綺麗な唇がそっと開かれる。
「澄香さんにだけは、悪い印象持たれたくなくて」
ぐっと、また胸に何かが刺さる。
本当に、なにを考えているのだろう。
不透明なのに、でも裏も表もないような、純粋な言葉に聞こえてしまうから厄介だった。
一度くちびるを閉じた彼は、ゆっくりとこちらを向く。
金色の前髪から覗いた瞳、青色の揺らめきの奥に不安気な色を見つけた。
「余計、困らせちゃいました?」
……もう一つ、確かなことができた。
百瀬くんはとても、狡い人だ。
私の心を揺さぶって、混乱させて、簡単に乱してくる。
まだ会ってたったの数時間、それなのに、彼と会う前の自分にはもう戻れないような気がした。
「……べつに、」
ぎゅうぎゅうと締め付けられるように胸が苦しくて、そのたった三言しか出なかった。
それでも彼は「よかった」と、ほっと息を吐くように小さく溢して。
花開くようにくちびるを綻ばせるから、さっさと手を動かしながら、こっそりと細い息を吐いた。



