もう、嫉妬心さえ生まれなかった。
卑屈な心なんて簡単に浄化される。
私のちいさな心、丸ごと一瞬にして奪われる。
「紫月くん」
あまりにも目の前の光景が、美しさと優しさで満ち溢れていたから。
粒を浴びる、濃紺の美しい髪がふわりと舞う。
振り向いた彼女は大きな瞳を更に大きく、息を切らしながら駆け寄った彼を見上げた。
ずっと憧れていた青の瞳には、彼女しか映らない。
高い鼻先はほんのり赤く、金は乱れ、いつも長い前髪で隠れた綺麗な額を露わに。
薄くも色気ある唇から忙しなく白い息が漏れる。
本当に急いできたのだろう。
白衣に黒色ダウンジャケットを羽織るのみの彼は、片手には先ほど目撃した折り畳み傘が閉じられたまま握りしめられている。
「もう何で、勝手にっ、…」
「焦りすぎ」
彼女はふっと柔らかに艶笑し「持って行った意味ないじゃないですか」、そう彼が握り締める傘に触れる。
優しげな表情のまま、つとめて嫋やかに、傘を開いた彼女は腕を伸ばしてそれを彼に傾ける。
そんな傘の柄を握る小さな拳に、そっと、彼は手を重ね一緒に握り締める。
「………俺が怒ってるの、分かってますか」
当たり前のように彼女のほうへと傾け直した彼は、困ったように眉間をきゅと引き絞る。
「(………あーなにこの人ほんとかわいい。彼女の前だとこんな表情もするんだ。ふーん、ちゃんと年下ぽさもあって最高じゃん。てか、ほんとに生きてるんだ。爆裂に美しいこのお方もちゃんと人間なんだ。)」
なんて、既にショートした脳みそにつらつら実況が流れながらぼんやり惚けていれば、上には上がいる。
更なるかわいい人にノックダウンされる。
「なんで怒ってるの、紫月くん」
濡れたような輝く瞳で彼を見上げた彼女は、小さく首を傾ける。
一見変わらない表情だけれど、私は美女の素晴らしさを見逃さない。
ふっくらとした色気ある唇が、ツンと。
拗ねたような不満そうに僅かに尖っているのだ。
なに、なになになに。声のトーンも、上目遣いも、首の角度も、その表情も。
か、かわいい、たった今まで余裕ある大人お色気お姉さんだったのに急に子供っぽくなったみたいで狡……!!
そんな彼女を見逃さなかったのは勿論、私だけではなくて。



