焦がれる吐息




「なによ、もう話はおしまい。仕方ないから、契約書については一旦保留でいいわ。アタシが帰ってきたらもう一度話し合いましょう」

『…かしこまりました。あの、最後に一つ…』

「なあに?もう本当に行かなくちゃ、」

『……澄香さんは、お一人になられて大丈夫ですか?』



手帳を閉じた手が、ピタリと止まる。


「……今、なんて?」

『いえ、その、社長がよくお迎えに行かれてたのを存じ上げておりましたので、』

「そうだけど、だからって何でアンタがスミちゃんの心配してんのよ?」


たしかに、スミちゃんが何処かにお出かけしてその帰りが夜遅くなるとき、アタシは必ず迎えに行っている。

仕事中だろうが、過保護と言われようがそんなの関係ない。

兎に角かわいいスミちゃんが心配で、夜道を一人で歩かせたくないだけ。

でも、それは宍戸にはまったく関係のないこと。


たった今までの堅物な男は何処へやら。

歯切れ悪く、急に仕事と無関係なスミちゃんを出してきた宍戸に、ぐぐっと眉間に富士山ができる。

理由によっては、すぐにでも噴火する。


「……少し気になっただけです。では、契約の件は一旦保留ということで僕が預かっておきます。ご出張、気をつけて行ってらっしゃいませ。失礼します」


ブツっと切られたそれに、思わずポカンとなる。


「……なに…?」


スミちゃんの自慢は、よく社内でしていた。

会議室、リフレッシュルーム、食堂、事務所のどこでもスミちゃんの写真を広げては「ウチの澄香、可愛いでしょ〜」と。

けれど、宍戸とスミちゃんに接点はないはずだ。


フル回転で記憶をひっくり返して、そうしてハッと思い出す。

事務所には、ジムやプールが併設されている。

身内の特権、スミちゃんはアタシが渡したフリーパスで毎週そこに通っていた。煙草に酒、怠惰な生活をしていそうで実は超ストイックな子だ。

もしかして、宍戸もジムを利用している…?

まさか、そこでスミちゃんのことを…?

ううん、あり得ない。宍戸がスミちゃんにほの字だなんて。宍戸は仕事が恋人のような男。今まで一度たりともスミちゃんの話なんてしなかったもの。

きっと、上司の心労を察してくれたのね。


そんなことより、スミちゃんに連絡しなくちゃ、と。

せっせと愛のメッセージを打ち込むアタシは、全然分かっていなかった。気づいていなかった。

すべて、的外れもいいところ。

ピン!と思いついた荒療治という名案も、アタシが描いたシナリオも、それぞれの想いも。

すべて、大誤算だらけだった。


知らぬうちに、幾つもの溜め息がもう積もりはじめていたのだ———