「……一つだけ、聞いてもいいですか」
息苦しく、悲しみに満ちた沈黙の中で、百瀬くんは静かに問う。その声は初めて聞くほどに弱々しくて、泣いてるみたいに聞こえた。
「俺、怖がらせてなかったですか」
「っ…」
こんな時でもどこまでもやさしい彼に、肩を震わせながら、俯き垂れる髪で顔を隠してこれでもかと必死に首を振って否定した。
待ち合わせの約束も身勝手に断ったのに、寒い中待たせていたのに、急に突き放しているのに、そんな女を気遣うなんて、百瀬くんは馬鹿だ。
「ん、良かった」
そう掠れた声で呟いた彼が、切なげに笑った気がして。
もう、これ以上は胸の痛みに耐えられなくて。
「バ、イト、早番、なので…」
静かに流れていく涙がやがて嗚咽に変わるその前に、私は逃げた。
頑なに顔を上げないまま、立ち竦む彼を通り過ぎて。
彼が走ってくれた横断歩道を、ずっと待っててくれたエントランスを、震える膝で走り抜けて、そしてエレベーターのボタンを押しながらずるずると膝から崩れ落ちる。
「……ふっ…うっ…、」
漏れ出る嗚咽を必死に抑えても、呆れるほどに冷たいものが頬を伝っていく。
結局、最後まで、青の瞳を見ることができなかった。
それは次の日になっても、その次の日になっても。
———その日を境に、私は、百瀬くんに会えなくなった。



