「もう一つ教えてやる」
スーツの中はぐっしょりと汗ばんでいた。
10も年下の奴に大人気ないと、心のどこかでは自覚していた。
女神に対しても、失礼な事をしていると。
それでも煽られまくった感情が抑えきれず“女神を取られないように”と目論む思考回路が止まらない。
「お前だけじゃない、澄香さんは極度の男性恐怖症だと。だからこそ社長はお前と澄香さんを一緒に過ごさせたんだ。互いに克服できるようにな」
そして、漸く反応を示すように百瀬の片眉がピクリと動いたのが分かって。
「はっ、そんな重要なことも知らずに呑気に彼女といたのか。さぞ男の貴様と過ごすのは怖かっただろう、…っ!」
体制を立て直そうと思った頃、先ほどと同じ、言葉の途中で百瀬紫月が動いた。
けれど、次自分の唇に触れたのは指先なんて生易しいものではなかった。
温度のない片手のひら全体で鼻、口を塞がれ、言葉どころではなく呼吸までを止めようとする力でぐっと押さえつけられる。
余りの勢いに、ジャリ、と半歩後ろによろけた革靴の音が鳴る。
苦しい呼吸の狭間で、爽やかなフィグの香りが鼻をついた。
「すみません、やっぱりさっきの撤回します」
そっと、百瀬紫月が迫る。
触れるか触れないか、耳のすぐそばに唇が寄せられて。
「澄香さんに言われなくても殺したくなったわ、アンタのこと」
鼓膜を撫でたのはしっとりとした艶やかな声。
恐ろしい言葉なのに酷くやさしく囁かれて、脳内がバグを起こした。
静かに狂気を吐いた後、百瀬紫月が顔を覗き込む。
桜色の唇を美しく弓なりに、間近で上目で見つめてくるその青には優しさも冗談のカケラもない。
「これ以上、俺の大切な人のこと勝手に語らないでもらえますか」
「、」
「目障りだよ、おっさん」
華やかな殺気を孕むその瞳に、みぞおちを打たれたようにもう声の一つも立てられなかった。



