「……新しいの、買わなくていいんじゃないですか」
鼻腔にこびりつくのは、煙草塗れの安っぽい石鹸の香り。
柵に頬杖をつきながらその覚えたての香りにぼんやりと酔いしれていれば、堰き止めている欲から思わず一つ零れ落ちてしまった。
ドラックストアで適当に買ったありきたりな匂い、なのに身体の奥底から犇めき合うように情欲の熱が疼く。
絹のような髪を揺らして首を傾げた澄香さんに、貪欲な笑みを口端に携えた。
「そのまま俺の使ってていいですよ、ずっと」
「え、」
「メンズ用ってわけじゃないし、使ってください」
澄香さんが自分と同じ香りを纏っている、その事実が単純に嬉しい。単純に、そそられる。
すると、彼女はまたすぐにふいっと顔を隠すように反対側を向いた。
「………すぐ、簡単にそういう事言う…」
夜風にのって微かに聞こえたのは、拗ねたような照れたような、かわいい声だった。それに、ちいさな笑みを零して真っ暗な闇を仰いだ。
全然、簡単じゃない。
もっと伝えたい想いが、胸がはち切れそうなほどに沢山ある。
我慢して、考えて、呑み込んで、今伝えられるぎりぎりのところを精一杯にぶつけてる。
本当は今すぐにでも、理性を手放してしまいたい。
けれど今の自分の立場を痛いほどに弁えているから、まだ呑み込み続けなければならない。
“———私にはその人の方が、よっぽど魅力的に見えちゃいます”
“ 私は、百瀬くんに興味があります”
ふと、大切に胸にしまっている言葉を浮かべて、喉奥が締め付けられるように痛くなった。
醜い空っぽな自分を知っても澄香さんは同じ言葉を、同じ温かな眼差しをくれるだろうか。
自分が、素性を晒さない卑怯者だという自覚はあった。
それでも、どれほど見苦しくても、どんなに烏滸がましくても、足掻いてでももがいてでも、彼女を幸せにできる真っ当な人間になるまで。
想いを吐息にかえて、紫煙と共に夜空に隠した。



