焦がれる吐息





つられて止まってしまった膝も、震えはじめる。

息を呑んで、恐る恐る、振り向いた。



“ ずっとこの時を待ってたんだよ、俺の澄香”


焼け爛れた真っ赤な夕焼け空の下、

陽炎のようにきらめくナイフ、

全身を舐め回すようなねっとりとした眼差し、

《興奮を抑えるような荒い吐息、

まるで歓喜に満ちて震える、忌々しい声、


「———あ、ごめんなさい…!」


はっ、と現実に戻る。最悪なフラッシュバックに、心臓の音が、ドラムを鳴らすように全身に響いていた。

頭を下げる尾崎の後ろからは、迷惑そうに眉を寄せた女性が急ぐように私達を追い抜いていく。

誰かに追いかけられている、だなんて。

ただの、勘違い。ただの、私の悪い癖だった。

「へへ、溝に引っ掛かっちゃいました」

脱げかけたヒールを履き直しながらへにゃりと目尻を下げる尾崎に、傘を傾けながらこっそりと震える息を吐いた。


たった数分前に繕った都合のいい心が、ほろほろとほつれてしまいそうで、「(大丈夫、大丈夫)」と鼓動を落ち着かせてまた自分を取り繕う。



———と、そのときちょうど。立ち止まった私たちの真横を空車のタクシーが通り過ぎた。

咄嗟に手を挙げ、運良く停車してくれる。


「……ほら、タクシーきたよ」

「わ、よかった〜ありがとうございます」

覚束ない尾崎の手をまた引いて、タクシーの元へと連れて行った。

ヨロヨロと乗り込む彼女に「じゃ、お疲れ」とひらひら手を振れば、眠そうな瞳がキョトンと丸くなる。


「あれ、先輩は……?」

「家、真逆でしょ」

「え、あ、じゃあ、先にせんぱいが、」

「いいから」


大丈夫、もう駅ビルの眩い文字は見えている。

尾崎も、そして自身も宥めるようにゆったりと口角をあげれば、彼女は大人しくシートに身体を預けた。

微かに震え続ける拳に気づかれたくなくて、傘の柄を強く握り締めて運転手に「お願いします」と早口で告げた。


見送るタクシーのバックランプに浮かぶ雨は、途端に銀色の針のように冷たく見える。

一先ず使命を果たしたからか、更に気怠さは増して意識が朦朧とする。



あとたった数分、たった数百メール。

歩き出そうと、一歩踏み出そうとして。

ふと、また後ろを振り返った。

街灯の下、銀色に濡れ輝く歩道。

そこには、遠く先にぽつぽつと歩く人がいるだけで、男なんて居ない。

それなのに、一度蘇ってしまえば、背後が気になって仕方がなくなった。

“あの日”からの癖。恥ずかしいほどに、自意識過剰だとわかっている。

けれど背後から足音がすれば、誰かに追い掛けられているのではないかと思い込んで。急に襲われるのではないかと被害妄想が止まらなくなってしまう。