焦がれる吐息


𓂃𓈒𓏸




———「百瀬くん、」


澄み通った声に目蓋を持ち上げて。でも、すぐにまた瞑目した。


『今までの百瀬くんなんて知らないけど、今ここにいる百瀬くんは確実に、誰がなんと言おうと、人間として立派だと思います』

『だから、今を覆して違う世界に行っても、どこへ行っても、百瀬くんは堂々とすべき人です』


噛み締めるように心の中で反芻した言葉に、固く閉じた目蓋がまた熱く震えたような気がした。

澄香さんは分かってない。どれほど俺の心を揺さぶっているのか、どれほど救ってくれているのか。

震える心のままに、目蓋の向こうの彼女を感じる。とっくに三分なんて過ぎていた。

けれどいつまでも受け入れてくれる優しい肩を、甘い香りを、緊張したように凝らした吐息を、酔い痴れるように感じる。

全てが好きすぎて泣きたくなった。

ケンジさんから彼女の家の鍵を差し出されたとき、手を伸ばしたのは間違いだったのかもしれない。

衝動的だった。美しい瞳に映りたい、話したい、近づきたいだなんて下心しかなかった。

でも、そんなの浅はかだった。

彼女の魅力は予想を遥かに超えた。

近づけば近づくほど、知れば知るほど、想いが膨らむ。出逢った時よりも、もっとずっと好きが深く熱くなる。


人を想う事がこんなにも苦しい事だとは知らなかった。


「あの、百瀬くんそろそろ」

「あと少しだけ」

「いや、本当もう、」


怒ったような声に、漸く目を開けて惜しむようにゆっくりと離れる。俯く彼女を伺うように覗き込もうとすれば、ふいっと反対を向かれてしまう。


「……これ以上は近づかないで」


おまけに、ぴしゃりとした言葉と共に両手のひらを突きつけられて心が萎む。結構、というか、それは残酷だ。

こんなにも好きにさせたのは澄香さんなのに。

こっちはもっと触れたいくらいなのに。

遣る瀬無い熱に眉を寄せる。彼女が気まずそうに手を下ろすのを見届けてから、階段の下に視線を落とした。


暫く沈黙が流れる。

蛍光灯に照らされた空虚な空間を見つめながら、虚しい切なさに晒された。

どんな男になればいいのだろう、どんな人間になれば好いてもらえるのだろう。

そう、苦悩に溺れそうになった頃だった。


———「精一杯なんです」


不意に、絹糸のように細く弱々しい声が落とされた。