彼と付き合い始めたのは中2の秋からだった。陸上部のエースで、テストはいつもトップ層に居るような、理想のカッコいい男子。彼はクラスの人気者で、休み時間とかいつも誰かに囲まれていた。その中に、あたしは入っていなかった。違うクラスだったから、その様子を廊下から眺めているだけだった。
 それでも、彼と一緒に居られる時間は、他の女子よりも多かった。むしろ、話す時間は充分にあって、友達と言える関係くらいにはなっていた。陸上部のマネージャーとして、部活中は、あたしは彼の傍にいたのだから。
 陸上の大会で、彼はよく素晴らしい成績を残していた。ほぼ彼の専属でマネージャーをしていたあたしは、彼の成績を自分の事のように喜んだ。何度彼と笑い合って、何度彼とハイタッチをしたか。時には肩を叩いたり、時には喜びのあまり抱き合ったりなんかして。部活という同じフィールドに居たからこそ分かち合えた、青春の特権なのだろう。その昂揚を味わうたびに、それだけでは物足りなくなってしまったんだ。

 中2の秋、全国大会まで進出して、彼の2度目の中体連が終わった。全国大会に進出しただけで凄いけれど、彼は自分の記録に拘って、悔し涙を流していた。強い彼があたしに見せた、初めての泣き顔だった。
 喜んで笑いあったこれまでの昂揚感とは違う、抑えようのない気持ちがそのとき湧き上がってきた。よく頑張ったね。君は凄いんだよ。その努力をあたしはずっと近くで見てきたから。それを単なるマネージャーとしてじゃなくて、友達以上の関係で伝えてあげられたら。そんな欲求に駆られてしまった。
 彼は人気者。だけど、恋人は作らない。その理由を、私は知っている。恋愛に割ける時間が少ないからだ。彼は毎日を陸上の練習と学校の勉強に充てている。休日も自主練、自主勉をしているから、こんなにも成績が良いんだ。あたしがその邪魔をしてはいけないのは分かっていた。でも、この気持ちは抑えられなかった。
「あたしでも、恋人になれないのかなあ……」
 つらかった。涙ながらの告白だった。
 好きっていうか、愛してるに近かった。あたしが全身全霊の愛を注ぐから、彼からも愛を欲しいと思ってしまった。欲張りだ。
 あたしへの返事に、彼は「いいよ」と口にした。そんあ答えが返ってくるなんて。期待していなったわけではなかった。むしろ、あたしが「いいよ」と言わせたんだ。彼の涙で、あたしは彼への愛情を抱いてしまった。悶えて苦しんだ挙句、同じ涙をもって彼に告白をしてしまったんだ。優しい彼なら、女の涙に抗えない可能性を、あたしは知らないわけではなかった。
 あたしと彼が恋仲になって、何が変わっただろうか。関係が恋人という名前になっただけで、これまでの2年間で築かれた友情は何も変わらなかったのかもしれない。恋人と銘打った関係に特別感を抱いていただけかもしれない。踏み込んでしまった、一時の過ちだ。

 中3になる春、あたしから恋仲を解いた。告っといて振るなんて、失礼なのは分かってた。でも、それを許してくれる彼の優しさも分かっていた。彼はその年も変わらず陸上の選手で、あたしも変わらず自称彼専属のマネージャーだ。きっとあたしたちの関係もこの先変わることはない。そう信じていた。

 彼の傍に居続けたくて、あたしは彼と同じ高校に入学した。同じように陸上選手とマネージャーの関係は続いたけれど、それ以上は踏み込めなくなった。
 彼は高1になって2か月も絶たない間に、既に彼女を作っていた。彼女なんて作らないだろうと高を括っていたあたしには、かなりの衝撃だった。
 聞くに、彼は友達から言われたそうだ。告白されたのなら、した方の気持ちも考えてやれと。彼は優しい人だから、それを鑑みてしまえば、忙しさを盾に無碍に告白を断ることは良くないと考えたのだろう。
 「彼女できたんだ?」って祝福ムードを装いつつも、悲し気な顔で彼に聞いた。彼は言ってた。あたしという彼女が居たとき、あたしに彼氏らしいことができなかったから、その反省を生かしたかった、と。
 あたしは彼に、恋人として愛想を尽かしたから振ったのだと思われていたのだろうか。そんなことはない。中学生だった間で、そこまで求めるわけないじゃんか。心的に、ただ傍に居てくれたら良かった。それが別の女の影一つで、遠く離れていってしまったように感じられた。
 部活の時間、あたしは物理的に彼の近くに居られる。それに、これまでに築いた友情が朽ちてしまうわけではない。あたしの我儘で彼の選択した生活を搔き乱すことは、あってはならないことだ。彼を応援してあげなきゃ。あたしは自分の心を偽りながら、彼の隣で息を潜めていた。

 高2の夏に、彼は新しい恋人と別れたと聞いた。彼女の重圧に耐えかねたらしい。
「別れて良かったんじゃない? 煩わしい女をいつまでもひっつけとくと、損するだけだよ」
 正直、あたしは心の中でほくそ笑んでいた。彼の元カノは、彼女になったことを言いふらしていたような人だったから。けれど、別れたという話はしていない。彼も好き好んで恋愛の話はしないから、もうしばらくは他の女の影を心配する必要はなさそうだ。
 これに懲りて彼は、しばらく恋人は要らないと言っていた。それにあたしが含まれているか気になったけれど、同じ過ちはもう繰り返せない。
 それでもあたしが彼のことを好きなままでいてもいいか問うた。やはり彼は「いいよ」と言ってくれた。
「今じゃなくてもいいからさ、もし余裕が生まれたら、またあたしを恋人にしてよ。それまでは良い友達でいてあげるから」
 もうすぐ高2の秋。彼の高校生活での全国進出を邪魔しないために、あたしは彼に一番近い、その他大勢の一人のままでいよう。

 あたしの中で色づく恋は、散ってもなお、年を越えてまた染まっていく。紅葉の赤色のように、その熱情は色濃く染まっていく。あたしは、傍で君をずっと見ているよ。だから、いつか君にも見染められたらな。

 彼がふいに零したとあるエピソードが気になっている。幼い頃、結婚を約束した相手がいるそうだ。きっと相手は忘れているだろうと彼は気にしていないけれど、あたしは気になって仕方がない。だってその子、同じクラスに居るんだもん。