シーン1
 冷たい白銀の空間。沙耶(さや)は、その殺風景な場所にぽつんと座っていた。周囲は病院でも夢の中の景色でもない、音のない静寂が満ちていた。
「人を信用しなくなったのはいつからだろう。遠い昔の話過ぎてもう思い出せない。」
 沙耶は虚ろな目で呟いた。心臓は脈打たないが、思考だけは妙にクリアだ。

「それにもうどうでもいい。……だって私、さっき死んだから……。」
声に出しても、空気が震えることはなかった。ただ、言葉だけが白い世界に溶けていった。彼女は、直前まで体が感じていた激しい衝撃を、どこか他人事のように思い返した。
 
その時、後方の扉が静かに開き、案内人が現れた。沙耶の隣には、先客が一人の人物――蓮が座っていた。蓮は沙耶と同じく、静かに白い空間を見つめている。

「……お待たせ、(れん)さん。」
案内人が声をかけると、蓮はゆっくりと顔を上げた。
「あ……はい。」
蓮は微かに肩を震わせた。
「緊張、してる?」
蓮の表情には微かな戸惑いがあった。
「少しだけ。でも……死んだって実感は、まだあんまりなくて。」
「そういう人、多いよ。」
案内人は優しく微笑んだ。
「無理に受け入れなくても大丈夫。ここは、その準備をする場所だから。」
案内人の穏やかな笑顔に、蓮は思わず小さな声で尋ねた。
「……やさしいですね。」
「ん、よく言われる。仕事柄、ね。」
蓮は視線を彷徨わせた。
「……ここって、『最後』なんでしょうか。」
「いや、『次』だよ。君は、次へ進むための面談をする。それだけ。」
「面談……。」
蓮は小さく繰り返した。
案内人はふっと笑い、緊張を解こうとする。
「うん、固いよね。心配しなくても、優しい人だから。神様って。」
その言葉と同時に、奥から神が、手を振りながら空気のようにふわっと現れた。陽気で親しげな、Tシャツにデニムといったラフな服装で。

「はーい、お疲れさま。お迎え完了〜?」
案内人は一つ、深い溜息をついた。
「もうちょっと登場の仕方考えてください。」
「いいじゃない、硬くするより。空気、軽いほうがいいでしょ?」

神は蓮の前に立ち、しゃがんで目線を合わせた。その瞳は、人懐っこい中に確かな誠実さを宿している。
「こんにちは、蓮さん。僕が、君の『次』を決める係。ま、神様って呼ばれてるけど、ただの聞き役みたいなもんだよ。」
蓮は思わず、正直な感想を口にした。
「……思ってたより、ずっと……普通の人、ですね。」
「うん、それ、よく言われる(笑)威厳とかね、昔は頑張って出してたんだけど……飽きた。」
案内人が笑う。
「神様、すぐ飽きるから。」
「でも大事なのは『会話』だからさ。緊張しなくていいよ。」
神は締めくくった。
「――さて。準備できたら、面談始めよう。」
「……はい。」

「……さて、もうひとり。あの子が来る。時間、止まったままの子。凍りついた心、少しずつ、溶けるといいけど。」
案内人が小さく息をつく。
「——また、“迷う者”か。」
神は頷き、白の奥を見つめた。
「うん。でも、あの子はきっと、まだ戻れる。」