「では、台所を使ってください。材料はあまりありませんが……小麦粉と卵、砂糖ならあります」
言われるままに小さなキッチンへ向かう。
戸棚を開けると、きちんと並べられた調味料と器具が目に入った。
(……この人、最初から用意してたんじゃ)
そんな予感がして、少し笑ってしまう。
やがて、オーブンの中で生地が膨らみ、部屋中に甘い香りが広がっていく。
筆を持つ神城さんが、その匂いにふと目を細めた。
「……これです。この香りがほしかった」
わたしは、オーブンのガラス越しに膨らむ焼き色を見ながら、
胸の奥が静かに揺れるのを感じていた。
まるで、この部屋に“自分が染み込んでいく”ような、奇妙な感覚。
焼き上がったマドレーヌを皿に並べる。
神城さんは筆を置き、まるで作品を眺めるようにそれを見つめた。



