「お疲れ様です。お先に失礼します」
ご夫婦に退勤の挨拶を済ませ、暗がりの中に足を踏み入れたときだった。
夜の冷たい風が頬を撫でる。
「ふぅ……」
一日の疲れを吐き出すように息をついた瞬間――
「おねーさん!」
不意に声をかけられて、わたしは肩を跳ねさせた。
街灯の下、黒のコート姿の彼が立っていたのだ。
しかも、紙袋を抱え、寒さで頬を赤くしながら。
「……っ! どうしてここに……」
「待ってたんです。おねーさんが出てくるのを」
にこにこと笑うその顔に、わたしは一瞬、言葉を失った。
(待ってたって……まさか、ずっと?)
「だって、今日のあの話の続きがしたくて。おねーさんが何時に終わるかわからなかったから、ストーカーっぽいかなって思ったけどずっと待ってました!でも、決しておねーさんのストーカーじゃありません!」
あっけらかんと告げる声は真剣そのもので、冗談の影はまるでない。
その純粋さがかえって怖くて、わたしは思わず後ずさった。



