篠原さんは柔らかく笑いながら、室内に視線を巡らせる。


「珍しいですね、神城さんの部屋に人がいるなんて。あ、いい匂い……焼き菓子ですか?」

「マドレーヌを、いただいたんです」

「へぇ、いいですね。甘いものには目がないもので」


わたしは思わず立ち上がり、「よかったらどうぞ」と皿を差し出そうとした。


その瞬間――


神城さんの指先が、わたしの手首に触れた。

軽く、けれど確かに。


「……それは、ダメです」


口元は笑っているのに、声の温度だけが急に下がった。

篠原さんが一瞬だけ目を細める。


「ダメですか……もしかして、特別なもの、ですか」

「ええ。……彼女が僕のために作ってくれたものですから。ほかの人には譲りません」


わたしは何も言えなかった。

止められた手の感触が、熱を帯びて残る。


篠原さんはそれ以上何も言わず、ただ「また連絡しますね」とだけ残して帰っていった。