遠く、儚く。

 
 深夜に遭遇した日以降、新見は彼女と挨拶を交わす度に明らかに彼女を意識するようになっていた。

恋愛感情があるわけではない。ただすれ違いざまに挨拶を交わす程度でいい。でも可能ならまた会えたら…という願望だ。彼女と挨拶を交わした日には、一日がとても充実している気がする。あの日が特別疲れていたから記憶が美化されているのだろう…と分かっていながらも、彼女の微笑む顔を思い浮かべる回数が日に日に増えていくことを実感する。

30を超えていい年した男が女性と挨拶をした程度で浮かれているなんてみっともない…と思いながらも、別にいいじゃないか…それが自分の心なんだから。と肯定もしている。


 「…見?…新見?……新見先生?!」
何度も自身を呼ぶ声でハッとして顔をあげるとカルテを持った看護師・笹木が立っていた。新見が総合内科に転科してからずっと一緒に勤務している看護師だ。

「あぁごめん。次入ってもらって。!
「変なの。クールな顔して変な想像でもしてたんじゃないの?」
「違うって…ちょっと考え事してただけだって。」

新見に遠慮なくタメ口でズケズケとものを言ってくるのはこの総合診療科では笹木一人しかいない。笹木は新見と同い年ながら管理職にまで上り詰めた実力派の看護師だ。

「急に手に力が入らなくなったっていう人だよね?骨髄検査でも問題なく?」
「そうです。検査は全て異常なしでうちに回されてきました。」

 新見が勤務する総合診療科ー総合診療内科は、各診療科で異常なしと判断されたものの症状が改善しない患者を担当するところだ。検査を継続するか、緩和治療を行うか、別の診療科に差し戻すかなどを患者と相談しながら検討する。

手に力が入らなくなったというのは17歳、男子高校生。血液、尿、CTなど複数の検査を行ったが異常はなし。


新見は家族構成や家族歴なども詳しく尋ねる。患者が話すことを拒否したり、あまり好まないことも多々ある。そういう時は問い詰めたり、無理に聞き出そうとしたりしないようにしている。あくまで自分から話してくれるのを待つのが新見のスタンスだ。医者だからといって患者の人生や感情に口出ししたくないという思いからだ。

先の男子高校生の症状も心理的な要因が大きいと見当はついているが、変に先入観を持たないよう患者の考えを聞くに徹する。もしかしたら業務内容は心療内科に近いのかもしれない。原因を特定して治療に至ればそれで良いし、治療しなくとも症状が改善すれば万々歳だ。