遠く、儚く。



こうして二人のトラウマ克服プロジェクトが始まった。

就寝前にリラックスする方法や呼吸法を実践しながら、怖いと感じる要素について書き出したり、怖いと感じた時の状況や感情の分析など認知行動療法を基盤とした訓練を少しずつ進めている。

しかし効果はすぐには現れない。
それに成瀬はトラウマの根源となっている出来事について、まだ直接言及することを拒んでいる。それを乗り越えなければトラウマの克服は不可能だ。

それでも成瀬を追い詰めず、焦らずゆっくりやればいいと樹は考えていた。成瀬がこの治療に積極性を持ってくれるまで、とりあえず嫌にだけならなければいいのだから。


「なるちゃんーそろそろ寝る時間だよー。」
「はーい…もうか…。」
「照明を少し暗くしてベッドに座ってね。はい、これ。今日はノンカフェインのチャイティーだよ。」
「わーい。いただきまーす!」
「召し上がれ。笑」

「今週はどうだった?ちょっとは眠れた?」
「うん…。まぁほんと少しずつだけど悪夢見る回数も減ってると思う。昨日は夢で起きたけど…二度寝できた。」
「すごい!えらいじゃんー!」


いい子いい子…と頭を優しく撫でると、成瀬が嬉しそうにはにかむ。


「それじゃあ、今週上手くできなかったなーってことはある?」
「今週は…その……体調がちょっとあれの週で…。」
「あぁ…そうだったか。体調は大丈夫?」
「まぁ…そこそこ。痛みはないけど…良くない考えばっかり浮かんじゃって…。」
「そっかそっか。女性はそういう時辛いよね…。それでもよく頑張りました。」
「それもあってかめっちゃだるい…。」
「お疲れ様。今日は軽くストレッチして寝よう。肩の力抜いて〜」


軽いストレッチを10分くらいして成瀬をベッドに寝かせる。


「手足ぶらぶら〜ってして力抜いて。」
「お腹に手置いて深呼吸〜。ゆっくり吸ってー……吐いて……」


息を8秒吸って4秒で吐く深呼吸を繰り返させる。

悪い夢を見たけどあの時と同じことは起きてない。もう大丈夫…。怖くて起きてしまったけどまた寝ればいい。もう大丈夫…。あの時は怖くて動けなかったけれど今は違う。もう大丈夫…。

大丈夫…大丈夫……
そうやって自己暗示をかけていく。


これを始めた当初は、当時の話を持ち出すだけで体を震わせたり、唇を噛み締めたり落ち着かない様子だった。今はすんなりと受け入れているみたいだ。

今日は少し気分が違うみたいで、呼吸が浅く短い。深呼吸を促してもすぐにやめてしまう。


「どうした?今日は気分が乗らない?」
「…じゃなくて……すごくイライラして…。何でそんなことしたんだって腹が立つ。何で…何で…私だけ……ぐすっ…」
「ほんとだよな。お父さんとお母さんは何でそんなことしたのかな?なるちゃんの気持ち、考えてくれなかったね?」


とても良い兆候だ。怒りが芽生えたってことは向き合い始めた証拠だから。少し感動してる。

声を出さず嗚咽する成瀬を抱きしめたい気持ちを抑えて見守る。


「…腹が立って仕方がない…。イライラしてじっとしてられない!」
「そっかそっか。一旦起きようか?なるちゃんストレス解消する時いつも何してる?」
「ゲーム」
「ゲームか…笑笑」
「それか爆食。」
「ふふ…笑 今は何したい気分?」
「分かんない…」
「ちょっと散歩に出る?それともここにいたい?」
「だるいから起きたくない…。」
「そっか…ならここにいよう。お水持ってくるから待ってて。」


コップに水を注いで成瀬に飲ませる。
表情はまだ硬い。かなり気分が悪いようだ。


「音楽かけよっか。何が良い?」
「ヘビーメタル」
「ははははは…笑笑 相当怒ってるね?」
「無性にむしゃくしゃする。」
「とっても良いことだよ、なるちゃん。怒って当然だよ。」


ヘビーメタルという成瀬のチョイスは除外し、静かで明るめの曲をスマホで流す。


「今日は昔の話をちょっとしようか。話してくれる?」
「うん……」