遠く、儚く。



新見は年末年始、家族や恋人のいる同僚の当直を一気に引き受け、家に帰らない日が数日続いていた。とてつもなく忙しく、成瀬と双子のことなんてすっかり頭から抜けていた。

一般病院が全て年末年始休暇に入ったことで、患者が新見の勤める大学病院に集中しており、救急からも立て続けに応援要請が入る。

夜中の3時を回ったころ、額をぶつけて切ってしまった子どもの処置を終え、自身の医局のある6階へとのぼろうとエレベーターを待っていた時だった。



背を丸め、よろよろと壁伝いに歩いている人がいる。マスクをしていて顔色は伺えないが何らかの感染症であるのは明らか。

インフル流行ってるもんなぁ…と軽く考えていたが、その患者が床に座り込んでしまった瞬間状況が変わった。

新見がすぐに駆け寄り、大丈夫ですか?と声を掛ける。肩に手を添えた程度の距離感でも、かなりの高熱だということが分かる。力なくうつむいてばかりの患者を新見が素早く様子を伺う。

呼吸も荒く早い。
大きめのマスクで隠れているが顔は真っ赤だ。


「どうされましたか?…大丈夫ですか?」
「すみません…あの全然大丈夫です。内科に行ったんですけどこちらに行くよう言われまして……」
「立てますか?一旦椅子に座りましょうか。つかまっていいですよ。」


患者の手をとって立ち上がらせようとするが、足に力が入らないようで下を向くばかりだ。


「すみません…あの大丈夫なんです…少し休めば…大丈夫になると思うんです」
「分かりました。すぐ処置できるようにしますね。大丈夫ですよ。」


新見が背中をさすりながら優しく語りかける。ちょっと失礼しますねと、脈を測るとかなり早い。これはかなりキツそうだなと思いながら、救急の診察室を優先的に使えるか電話で確認する。

待合室のソファーになんとか座らせて、新見がしゃがんで患者の顔色を伺う。顔が真っ青になっていてかなりの緊急性を感じる。


「えっ…大嶌さん?!? えっ…何で…」


前の誕生日の時はまだギプスをしていたが、今日はギプスをしていなかったから気づかなかった。大きなマスクに顔全体が隠れてしまっているが、雰囲気で成瀬だと分かった。

一瞬驚きを隠せなかったが、明らかに苦しそうにしている成瀬を前にまた現実に引き戻される。相当辛いのか目をつむっている新見が寄り添う。


「キツいよね…大丈夫、大丈夫。ちょっと横になっていてもいいですよ。」
「あの…トイレどこですか…」
「どうして?吐いちゃいそうですか?」


返事をするのも辛いのか成瀬は顔をしかめながらコクコクと頷く。


「すみません!ストレッチャーお願いできますか?急患です!」
「「はい!」」


新見が看護師を呼ぶと、周りが一気に慌ただしくなる。あちこちから医療関係者が集まりあっという間に成瀬は処置室に運ばれる。

酸素飽和度を測る機器が取り付けられ、血圧・体温測定やPCR検査などが次々に行われる。

嘔吐しようとするが何も食べれていないのか何も出てこない。脱水もそこそこ進んでいそうだ。新見が慣れた手つきで採血バンドを巻いて点滴を入れる。


「今はとりあえず水分補給が必要なので点滴しますねー。心配することはないから緊張しないでね。ちなみにいつから症状があったのか言える?」
「今週初めから…あいや…一昨日から熱は出ていたんですけど…。大丈夫だろうと思ってたんですけど治らなくて……」
「検査結果見て見ないと分からないですけど…今インフルがかなり流行っているので8割方インフルだと思っていいと思います。一昨日も結構熱高かった?」
「38度前後だったと思います…」
「何でもっと早く病院来なかったの……つらかったでしょ?」
「……」


そこへ「先生結果出ました」と看護師が検査キットを持って入ってくる。


「インフルエンザA型陽性ですね。」
「あぁ…まじか……」


成瀬が頭を抱える。新年早々非常に重要な交渉があるからだ。あの接待の席を外すとなれば今後の評価にも影響がないとは言い切れない。インフルかもしれないと薄々気づいてはいた。でもどうにかして出社までに熱を下げ、無理をしてでも交渉に参加するつもりだった。声にならない絶望が成瀬を包む。


「とりあえず熱が高いので、熱を下げる点滴と吐き気止めも入れときますね。」
「……」(頭を抱えたまま動かない)
「大丈夫??大嶌さん??」
「えっ??あ、はい。えっ??」
「なんかあった?」
「あっいえ、大丈夫です。これって少なくとも来週水曜日まで出社できないってことですよね??」
「とりあえず熱が下がってからカウントだからね。点滴で熱下がらなかったら今日は入院してもらうことになる。」
「えっ…入院ですか…?」
「何で早く病院来なかったの…?結構ひどくなってる。」

「えっと……」

「律くんと柚ちゃんは大丈夫??」
「はい。二人とは完全に隔離してたので大丈夫です。」
「そっか。何で3日も無理したの?辛かっただろうに…」
「陽性が出てしまったら……出社できないと思いました……」
「はぁ…そういうことか…。」


成瀬の話を聞いて新見も頭を抱える。
3日間も高熱にうなされて立っていられないほどになるまで悪化してる。褒められたことじゃないが気持ちは分かる。


「早く熱を下げたければ、薬飲んでしっかり休んで。それしかないよ?」
「はい…」
「とりあえずこの点滴が終わるまでここで休んでてね。もし熱が下がらなければ入院になるけど、ご家族……ご両親とか来てもらえる人いる??」
「あぁ…もしそうなったら律たちにお願いします。」
「律くんたち今寝てるよね?成瀬さんが病院に来たことは知ってる?」
「夜中だったので言わずに出てきちゃいました…」
「そっか…分かりました。とりあえずあと2時間くらいかな。休んでてね。」
「はい…お手数おかけしました…。」
「いやいや全然気にしないで。これが仕事だからね。笑」


それじゃあまた後で、と言って新見がカーテンを閉じて診察室を出ていく。