夜佐竹マンション─

「月がちかーい!!」

ベランダの手すりに身を乗り出しながら、葵は目を輝かせた。

夜空に浮かぶ満月が、まるで手を伸ばせば届きそうなほど大きく見える。

ビル群の隙間からのぞくその光は、まっすぐに彼女の頬を照らしていた。

「落ちるぞ」

背後から低い声。
黒い手袋の手が、そっと彼女の腰を引き戻した。

「れ、れんっ! 見てよ、ほんとに大きいの! おっきいお月さまっ!」
「毎年同じだ」
「ちがうよ! 今年のはやさしい顔してるもん」

佐竹は、わずかに目を細めて夜空を見上げた。

ガラス越しに映る二人の姿と、月の光が重なり合う。
彼は無言のまま、キッチンに戻って皿を手に取る。

「……はい」
「え? あ、おだんご!」

丸く並べられた月見団子の皿。
その隣には湯気の立つ抹茶と、ほのかに甘い焼き栗。

「用意してくれてたの!?」
「十五夜に何か食べないと不吉だとか」
「ふふっ、誰だろう、そういうこと云うの」
「おまえの親友だ」
「……結衣ちゃんだね」

ふたりは顔を見合わせて笑った。

葵は月を見上げながら、ひとつ団子をつまみ上げる。

「れん。これ、はい、あーん」
「……自分で食え」
「だめっ♡ こういうのは雰囲気で食べるの♡」

黒手袋の男はしばらく沈黙してから、ため息をつき、
仕方なく口を開けた。

「……ん」
「ふふ♡ かわいい」
「……次はおれの番だ」

団子をひとつ取り、葵の唇へ。
「あーん」
「ん♡ ……んふっ、甘い」
「おまえの方が甘い」

葵の頬が、月の光よりも赤く染まった。
ベランダに、二人の影が寄り添うように落ちる。
夜風が揺れ、金木犀ベースの調和香が漂う。

「ねぇれん──」
「なんだ」
「お月さまが見てるよ。わたしたちが、こうして一緒にいるの」

「なら、ちゃんと見せておけ」

彼は静かに腕をまわし、彼女を抱き寄せた。

──月は、黙ってそれを見つめていた。




秋の夜。

月はふたりの沈黙を照らし、言葉よりもやさしく「いま」を包みこんでいた。





終わり☆ 2025.10.6.