だから愛は嫌だ~今さら戻ってこいと言われても、訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せですので~

 ライオネルの美しい金髪が、朝日に照らされキラキラと輝いている。黒い軍服に包まれた体は逞しい上に、背が高いので威圧感がある。さらに、彼は昨晩と同じ装飾品のついていない黒い仮面をつけていた。

(殿下のことを何も知らなければ、きっと怖い人に見えていたわね)

 しかし、ディアナは昨晩、ライオネルに助けられたことにより彼の優しさに気がつけた。
 カーラが敬礼する横で、ディアナは優雅に淑女の礼をとる。

「第二王子殿下にご挨拶を申し上げます」
「具合はどうだ?」

 ひざを少し折りながら頭を下げているディアナに、ライオネルは淡々と尋ねた。

「おかげさまで良くなりました。殿下には、大変ご迷惑をおかけしました」
「かまわない。それより、どうして顔を上げない?」

 この国では、王族から声をかけられると、お辞儀をやめて顔を上げていいことになっている。しかし、ディアナは今、顔を上げるわけにはいかなかった。

(どうしよう。涙でぐちゃぐちゃになっている顔なんて、見せられないわ)

 うつむいたままのディアナに気を悪くした様子もなく、ライオネルは話を続ける。

「たしか、あなたはディアナ・バデリー伯爵令嬢……だったか?」
「はい、そうでございます」
「なぜ泣いている?」

 驚いたディアナが顔を上げると、仮面の隙間から見える青い瞳と目が合った。

「ど、どうして私が泣いていると分かったのですか?」
「声を聞けば分かる。むしろ、そんな涙声でどうして気づかれないと思ったんだ?」
「それは……」

 ライオネルはそう言うが、これが婚約者のロバートなら絶対に気がつかなかっただろうとディアナは思う。

(ライオネル殿下が普通なのかしら? だったら、ロバート様が私に興味がなさすぎるだけ?)

 そのとき、ライオネルの白い蝶が、ディアナの視界を横切った。
 白い蝶は、フワフワとライオネルの周りを飛びながら『心配だ』と囁いている。
 それを聞いたディアナは、思わず口元を緩めた。

(これ以上、殿下を心配させるわけにはいかないわね)

 ディアナは、指で涙をぬぐう。

「つい先ほど、長年仕えてくれていたメイドの不誠実さを知りました。自分の意志でメイドを解雇しましたが、なぜか涙が止まりません」
「悔いの残る選択だったのか?」

 そう聞かれて改めて考えた末、ディアナは首を左右に振った。

「いいえ、後悔はしていません」
「ならばいい。よくやった」
「え?」

 ディアナは、ライオネルをマジマジと見つめる。

「どうした?」とライオネルに聞かれたので、ディアナは戸惑った。
「殿下に褒めていただけるとは思いませんでした」
「どうしてだ? あなたは自分に不誠実な者を、自分の意志で遠ざけたのだろう?」
「は、はい。そうですが……」
「ならば、よくやった」

 ライオネルの白い蝶が『偉い!』と力いっぱい褒めてくれる。

(褒められたのは、久しぶりな気がするわ。ロバート様には、貶されてばかりだったから)

 胸が温かくなり、ディアナの口元に自然な笑みが浮かぶ。

「……嬉しいです」

 それは社交界用に作った笑顔ではなく、心の底からの喜びだった。

「ありがとうございます。殿下」

 その瞬間、またピンク色の花びらがヒラヒラと降ってきた。

(きれいだわ)

 相変わらず、ライオネルやカーラには見えていないようだ。

(まだ幻覚が見えていると言ったら、殿下を心配させてしまうわね)

 ディアナが、「殿下のお時間をいただいてしまい、申し訳ございません。これからどちらに向かわれるのですか?」と微笑みかけると、なぜかライオネルは動揺した。

「特に向かう先はない」

 偶然、ここを通りすがったのかと思っていたが、違ったようだ。ライオネルは、コホンとせき払いをする。

「……俺は騎士たちに、正直にまっすぐ悔いなく生きることを命じている」
「はい、カーラ様からお聞きしました」
「だから、俺自身もそれを守るようにしているんだ」

 ライオネルの青い瞳が、まっすぐディアナを見つめている。

「俺は、なぜかあなたに会いに行かないと後悔しそうな気がした。だから、ここにはあなたに会うために来た」

 ザァアとピンク色の花びらが風に吹かれた。

「私のことを心配してくださったのですね。殿下は、やはりお優しい方です」
「そんなことはない」

 そのわりには、白い蝶がよく『心配だ』と囁いている。

「助けてくださりありがとうございました。日を改めてお礼にうかがわせてください」
「礼は必要ない」

 そう言ったライオネルは「いや、やはり来てくれ」とすぐに言い直した。

「はい、必ずお伺いします」
「ああ」

 ディアナは再び淑女の礼(カーテシー)をしながら、ライオネルが立ち去るのを待った。しかし、なかなかライオネルは立ち去らない。

 ディアナがこっそりとライオネルを盗み見ると、何かを考え込んでいるようだった。

「ディアナ嬢」
「は、はい」
「馬車まで送ろう」
「いいえ、そこまでは……」

 戸惑うディアナにライオネルは手を差し出した。どうやらエスコートしてくれるようだ。第二王子からのエスコートを断れるわけがない。

 ディアナは、ためらいながらライオネルの手を取ると、ライオネルは慣れた仕草でエスコートする。
 始めは緊張していたディアナも、舞い散る花びらの美しさに次第に落ち着いていった。

(花びら舞う中を二人で歩くなんて、まるで結婚式のようだわ)

 ディアナが侯爵令息のロバートと婚約してから、すでに二年が経っていた。一年後には、結婚式を挙げる予定だ。

(結婚式の準備が始まる前に、ロバート様と婚約解消しないと……)

 ロバートの父であるコールマン侯爵は、ディアナの父が持つ土地で新しく事業を始めたいそうだ。両家に利益のある政略結婚のため、うまく立ち回らないと穏便に婚約を解消できそうにない。

(とにかく家に戻ったら、すぐにロバート様にお手紙を書きましょう。婚約解消のためにも、ロバート様と協力しないと)

 そんなことを考えているうちに、あっという間に馬車に着いてしまった。

「殿下、ありがとうございます」
「ああ。近いうちに必ず俺に会いに来るように」
「はい」

 ディアナが馬車に乗るまで、ライオネルはしっかり丁寧にエスコートしてくれた。

(こんなにも紳士で優しいライオネル殿下が、残虐王子と呼ばれ蔑まれているなんて……)

 カーラが、ディアナの荷物が入ったバスケットを馬車に積むと、馬車はゆっくりと動き出した。
 王宮がどんどん小さくなっていき、ディアナを乗せた馬車は貴族街へと入っていく。窓の外の流れゆく景色を眺めながら、ディアナはライオネルのことを考えていた。

(あんなに心配性で、戦場ではどうしていたのかしら? それに、殿下とお話ししていると、なぜか花びらが舞うのよね……)

 幻覚の蝶は、相手が強く思っている気持ちを教えてくれる。なのでピンク色の花びらも、ライオネルの見えない何かの可能性が高い。

「花びらは、その人のお人柄の良さの現れ……とかかしら?」

 そう呟いたものの、「だとしたらカーラ様と話しているときにも花びらが降ってくるはずよね?」と考えを改めた。

 答えが出る前に、ディアナを乗せた馬車は、伯爵邸に着いてしまった。