「翔(かける)………」
「…………」
由良が小さくその名前を呟く。
"カケル"と呼ばれた男は、何も言わないまま顎をしゃくった。
“来い”
ただそれだけを示す、無言の命令。
───あるいは。
部外者である俺への、露骨な拒絶。
「何の用────ああ、」
由良が何かに納得したように目を細める。
───次の瞬間。
俺の腕の中から、するりと抜け出した。
まるで最初から、そこに収まってなんかいなかったみたいに簡単に。
「……………」
胸の奥が、嫌な音を立てる。
さっきまで、あんなに泣いていたくせに。
あんなに俺へ縋っていたくせに。
今の由良は、もう俺を見ていなかった。
そこにあるのは、冷え切った事務的な横顔。
感情を全部閉じ込めたみたいな、“俺の知らない顔”。
由良は迷いなく"カケル"の方へ歩いていく。
警戒もない。
躊躇もない。
……その距離感が、逆に胸をざわつかせた。
……なんだよ、それ。
俺の知らない場所で。
俺の知らない時間の中で。
お前は、そいつとどんな関係を築いてきた?
向けられる信頼。
いや──もっと深い。
簡単には踏み込めない……“共犯者”みたいな空気。
───それを見た瞬間。
さっきとは違う意味で、心臓が激しく鳴った。
伸ばしかけた手が、空中で止まる。
行き場を失った指先だけが、夜風の中でやけに白く浮かんでいた。



