俺が抱き寄せかけた相手は。
さっき、この手を掴んだのは。
──紛れもない“男”なんだ。
そう自分に言い聞かせた瞬間、胸の奥が妙にざわつき、冷たい風が吹き抜けたような感覚に陥る。
目の前の彼の存在を否定したいわけじゃないし、突き放したいわけでもない。
けれど、頭のどこかで納得できないまま、俺の感情だけが理性を置き去りにして、勝手に先へと進んでいくのを感じていた。
「実は僕、由宇(ゆう)っていう兄がいて、」
ぽつりと静かに落とされたその掠れた声に、ザザッ、と冷たい海の音が重なる。
ここから語られるであろうこいつの──いや、目の前にいる由良の秘められた過去が、静かに形を持ち始めようとしていた。
「…………」
その言葉は確かに俺の耳に入ってきているはずなのに、どうしてか頭の奥でうまく処理できずに滑り落ちていく。
直感的に分かってしまった、こいつは本来ならば、決して俺みたいな奴が気安く踏み込んでいい相手じゃないんだと。
性別とか、立場だとか、そういう話じゃなくて。
……もっと単純に、“一度距離の取り方を間違えたら終わる場所”にいる気がした。



