―迷い猫―

 公園へ行く準備は、ずっと前からしてあった。
 
 厚手のコートにマフラー、手袋。ポケットにはカイロも入れてある。

 けれど――窓の外を見上げるたび、ため息しか出なかった。

 空は朝からずっと灰色の雲に覆われている。

 日が落ちても変わらない。

 月も星も、ひとつも見えない。

 時計の針が流星群の時刻へと近づいていく。

 行くか、やめるか。

 もしこのまま曇っていたら……寒い夜に外に出ても、ただの暗闇しか見えないかもしれない。

 そんな不安が、重たい鎖みたいに足を縛っていた。


 =やっぱり、無理みたいですね=


 私はパソコンの画面にそう打ち込んで、送信ボタンを押した。

 この言葉には、空の曇りだけじゃなく、自分の心の弱さも混ざっている。

 すぐに返事が来るとは思っていなかった。

 けれど、予想よりもずっと早く通知が光った。


 =諦めないで=


 「…………」

 短い一文。

 でも、その奥にある強い気持ちが、画面越しにも伝わってきた。

 彼は本気で、私に空を見てほしいと思ってくれている。

 ……諦めるには、まだ早い。

 そんな声が、心の奥から響いてきた。

 私はマフラーを巻き直し、コートの前を留めた。

 玄関を開けた瞬間、冷たい風が頬を刺す。

 思わず足が止まるけれど、ポケットの中のカイロを握りしめて、一歩、踏み出す。

 そのときだった。

 まるで空気が揺れたような、説明できない感覚が全身を包んだ。

 冬の風とは違う、どこか熱を帯びた衝撃――息を呑む間もなく、それは夜空の方へと駆け抜けていった。

 顔を上げると、さっきまで分厚かった雲が、ゆっくりと、裂けていく。

 黒い隙間から、星の瞬きが一つ、二つ……やがて無数に広がっていった。

 「………ほんとに……」
 
 思わず呟いていた。
 
 その光は、きっと彼も見ている……そんな確信があった。
 
 頬が冷たさとは別の理由で濡れていく。
 
 私は迷わず、公園へ向かって歩き出した。
 
 十五分なんて、もう長いとは思わない。

 家を出た瞬間、冷たい夜気が頬を撫でた。

 思わず息を吸い込むと、胸の奥までひやりとした空気が流れ込み、心臓がひとつ大きく跳ねる。

 見上げれば、街灯の間から覗く夜空には、すでにいくつもの星が瞬いていた。

 小さな粒が凍りついたガラスの上に散らされたみたいに、淡く白く光っている。

 住宅街を抜ける道は、昼間よりもずっと静かだ。

 窓から漏れる明かりが、アスファルトの上にやわらかな橙色の四角を描き、その向こうは黒い影に沈んでいる。

 時折、遠くで犬の鳴き声や、自転車のブレーキ音が聞こえるだけ。

 そのたびに胸が少し緊張で固まるけれど、夜空を見上げると、星の光が不思議と足を前に押してくれる。