―オリオンー
南の空を撮影し、望遠鏡を片付けてから、ベッドに腰を下ろした。
スマホの画面を開くと、メッセージの通知がひとつ――いや、二つ、三つ……と次々に増えていく。
全部、《迷い猫》からだ。
開いてみると、最初の一文はこうだった。
=今日は少しだけ部屋の掃除をしました。机の上がきれいになったら、外の景色がよく見えるようになりました=
それを読み終える間もなく、次のメッセージが届く。
=あ、それと……昨日たまたま聴いた音楽がすごく良くて。歌詞の中に「夜空」って言葉が出てきたんです。
オリオンさんの話を思い出しました=
さらに、その後にも短い文章がいくつも続いている。
昼間に飲んだミルクティーの味、窓から見えた雲の形、冬の空気の匂い――
どれも、彼女の小さな日常の切れ端だ。
画面をスクロールしながら、僕は微笑む。
ほんの少し前まで、彼女の言葉は慎重で、どこか探り探りだった。
それが今は、堰を切ったようにあふれ出している。
……変わった。
その変化が、僕にははっきりとわかった。
もしかしたら、あの夜――学校の話をしたとき、僕が「行かなきゃいけないなんて思わない」と言った言葉が、
彼女の中で何かをほどいたのかもしれない。
僕はそれを確かめるつもりはないけれど……こうして彼女が自分の言葉を惜しみなく送ってくれることが、何より嬉しかった。
同時に、少しだけ怖くもある。
この距離を壊してしまわないように、何をどう返すべきかを間違えたくなかった。
「…………」
僕はひとつ深呼吸をしてから、ゆっくりと返信を打ち始めた。
=どれもすごく楽しそうですね。夜空の歌、僕も聴いてみたいです=
短いけれど、彼女の言葉を受け止めたことが伝わるように――
そんな願いを込めて、送信ボタンを押した。
あれから、迷い猫とのやり取りは、毎日のように続いた。
星や天気の話から始まった会話は、次第に彼女の日常や、ちょっとした出来事へと広がっていった。
=今日は窓の外に猫が通りました。白くてふわふわでした=
=こっちは夕方にカラスが集まっていて、すごい声でした=
そんなやり取りをしていると、僕の部屋の中に外の景色が入り込んでくるようで、不思議と賑やかな気持ちになる。
=今日の空は雲が多くて星が見えなかったけど、月だけはぼんやり見えました=
=それは薄雲越しの月ですね。光が滲んで、きれいだったでしょう?=
こうして、僕が彼女に星や空のことを少しだけ説明すると、必ず次の日に「昨日教えてもらったのを探してみた」と報告が届く。
その姿が目に浮かぶようで、胸の奥が温かくなる。
ときには、まったく星とは関係ない話もあった。
=スーパーで苺が安かったので、お母さんが買ってきてくれました。甘くて美味しかったです=
=こっちは苺はまだ高いですよ。食べられて羨ましいです=
僕は笑いながら返信し、彼女もまたすぐに笑っているような短い返事をくれる。
このやり取りが、病室の中の時間をゆっくりと、でも確実に満たしていった。
不思議なことに、こういう何でもない会話の方が、彼女との距離を近づけてくれる気がした。
深刻なことを話さなくても、互いの生活に少しずつ入り込んでいく感覚。
それが今の僕には、かけがえのないものだった。
……だからこそ、余計なことは言わないようにしよう。
自分の体調のことや病気のことは、彼女が知る必要のない影だ。
僕はあくまで《オリオン》として、彼女の夜空に光る星のひとつでありたい。
そのためにも、言葉は慎重に選ばなければならない。
そんなふうに思いながら、僕は今日も返事を打った。
南の空を撮影し、望遠鏡を片付けてから、ベッドに腰を下ろした。
スマホの画面を開くと、メッセージの通知がひとつ――いや、二つ、三つ……と次々に増えていく。
全部、《迷い猫》からだ。
開いてみると、最初の一文はこうだった。
=今日は少しだけ部屋の掃除をしました。机の上がきれいになったら、外の景色がよく見えるようになりました=
それを読み終える間もなく、次のメッセージが届く。
=あ、それと……昨日たまたま聴いた音楽がすごく良くて。歌詞の中に「夜空」って言葉が出てきたんです。
オリオンさんの話を思い出しました=
さらに、その後にも短い文章がいくつも続いている。
昼間に飲んだミルクティーの味、窓から見えた雲の形、冬の空気の匂い――
どれも、彼女の小さな日常の切れ端だ。
画面をスクロールしながら、僕は微笑む。
ほんの少し前まで、彼女の言葉は慎重で、どこか探り探りだった。
それが今は、堰を切ったようにあふれ出している。
……変わった。
その変化が、僕にははっきりとわかった。
もしかしたら、あの夜――学校の話をしたとき、僕が「行かなきゃいけないなんて思わない」と言った言葉が、
彼女の中で何かをほどいたのかもしれない。
僕はそれを確かめるつもりはないけれど……こうして彼女が自分の言葉を惜しみなく送ってくれることが、何より嬉しかった。
同時に、少しだけ怖くもある。
この距離を壊してしまわないように、何をどう返すべきかを間違えたくなかった。
「…………」
僕はひとつ深呼吸をしてから、ゆっくりと返信を打ち始めた。
=どれもすごく楽しそうですね。夜空の歌、僕も聴いてみたいです=
短いけれど、彼女の言葉を受け止めたことが伝わるように――
そんな願いを込めて、送信ボタンを押した。
あれから、迷い猫とのやり取りは、毎日のように続いた。
星や天気の話から始まった会話は、次第に彼女の日常や、ちょっとした出来事へと広がっていった。
=今日は窓の外に猫が通りました。白くてふわふわでした=
=こっちは夕方にカラスが集まっていて、すごい声でした=
そんなやり取りをしていると、僕の部屋の中に外の景色が入り込んでくるようで、不思議と賑やかな気持ちになる。
=今日の空は雲が多くて星が見えなかったけど、月だけはぼんやり見えました=
=それは薄雲越しの月ですね。光が滲んで、きれいだったでしょう?=
こうして、僕が彼女に星や空のことを少しだけ説明すると、必ず次の日に「昨日教えてもらったのを探してみた」と報告が届く。
その姿が目に浮かぶようで、胸の奥が温かくなる。
ときには、まったく星とは関係ない話もあった。
=スーパーで苺が安かったので、お母さんが買ってきてくれました。甘くて美味しかったです=
=こっちは苺はまだ高いですよ。食べられて羨ましいです=
僕は笑いながら返信し、彼女もまたすぐに笑っているような短い返事をくれる。
このやり取りが、病室の中の時間をゆっくりと、でも確実に満たしていった。
不思議なことに、こういう何でもない会話の方が、彼女との距離を近づけてくれる気がした。
深刻なことを話さなくても、互いの生活に少しずつ入り込んでいく感覚。
それが今の僕には、かけがえのないものだった。
……だからこそ、余計なことは言わないようにしよう。
自分の体調のことや病気のことは、彼女が知る必要のない影だ。
僕はあくまで《オリオン》として、彼女の夜空に光る星のひとつでありたい。
そのためにも、言葉は慎重に選ばなければならない。
そんなふうに思いながら、僕は今日も返事を打った。



