―迷い猫― 

 「ありがとうございます」と返してから、画面を閉じようと思った。
 
 けれど、指は止まらなかった。

 ……今なら、もっと話せるかもしれない。

 そんな気持ちが、胸の奥で小さく灯っていた。


 =小学生のときは、友達とよく放課後に公園で遊んでいました。お菓子を分け合ったり、本屋に寄ったり……

 あの時間がすごく楽しかったです=


 最初は、楽しかった思い出から話しはじめた。

 そこから、自然に中学のこと、孤立してしまったこと、玄関で足が止まるようになったこと――

 ずっと心にしまっていた出来事が、言葉になって溢れ出していく。

 止めようと思えば止められたのに、なぜか今日は止まらなかった。

 あの日の教室の静けさや、外に出られなくなったときの息苦しさまで、全部吐き出していた。


 =ずっと部屋で過ごしてきました。本を読んだり、音楽を聴いたり……でも、気づけば一日があっという間に過ぎて、

 誰とも話さず終わっていました=


 送信すると、胸の奥が少し軽くなる。

 まるで固く縛られていた紐が、少しずつほどけていくみたいだった。

 それから、ふと昔の景色が浮かんだ。


 =でも、小学生の頃は本当に楽しかったんです。友達と星を見たり、川で石を拾ったり……あの頃のことを思い出すと、

 少しだけ笑えます=


 送信して、しばらくすると、彼から返事が届いた。


 =話してくれてありがとう。きっと、その時のことも、今のあなたの中にちゃんと残ってるんだと思います=


 その一行を読んだ瞬間、押さえていた涙がまたこぼれはじめた。

 慰めの言葉とも、無責任な励ましとも違う。

 私の過去を否定せずに、ただ「残っている」と認めてくれる響きだった。


 泣きながらも、心は不思議と軽かった。

 こんなふうに誰かに自分のことを話せる日が来るなんて、少し前の私は想像もしなかった。

 涙の跡を指で拭いながら、静かに笑った。



 その日から、なぜか《オリオン》の投稿が途絶えた。