―迷い猫ー 

 あの日以来、私は《オリオン》にメッセージを送らなかった。

 送らなかった、というより――送れなかった。

 画面を開けば、そこにはいつも彼の星の記録が並んでいる。

 それを読むたびに、言葉をかけたい気持ちはあった。

 でも、指をキーボードに置くと、あの日のやり取りが蘇ってきて、結局なにも打てずに閉じてしまう。

 何日か経つうちに、その沈黙がますます重くなっていった。

 このままずっと話さなくなるのかな――そんな考えが頭をかすめるたび、胸の奥がきゅっと縮む。

 その夜、ふとカーテンを開けると、珍しく空が澄んでいた。

 星がいくつも瞬いていて、冷たい空気の中で光がくっきりと浮かんでいる。

 気づけば、私はパソコンを立ち上げていた。


 =こんばんは。久しぶりに空を見ました。今日は星がはっきり見えて、少し嬉しくなりました=


 送信ボタンを押した瞬間、心臓が早鐘を打った。

 返事が来なかったらどうしよう――そんな不安が喉元までせり上がってくる。

 けれど、数分も経たないうちに、通知が光った。


 =こんばんは。そうなんですね。今日は本当に空が澄んでますね=

 短い言葉なのに、その中に安心がにじんでいた。

 彼が責めるようなことは何ひとつ書かず、ただ私の言葉を受け止めてくれているのが分かった。

 胸の奥の緊張が、少しずつ解けていく。

 また、少しずつ話してみよう――そんな気持ちが、静かに芽生えていた。

 返事をもらっただけで、胸の奥の重さが少し軽くなった。

 短い一文だったけれど、それが今の私には十分だった。

 何か返そう。

 でも、重い話はやめよう。

 星のことでも、天気のことでもいい。


 =今日は風も弱くて、外に出ても寒くなかったです=


 打ち込んで送信すると、すぐに返信が来た。


 =そうなんですね。こっちは少し風があります。望遠鏡が揺れないように押さえながら見てました=

 その文章の中に、星を見ている彼の姿が浮かんだ。

 寒い夜に、望遠鏡を押さえながら空を見上げている――私とは違う、でも同じ空を見ている。


 =そうやって観測してるんですね。なんだか想像すると面白いです=

 =面白いですか? 見てる方は必死ですけど(笑)=


 「ふふ」

 思わず笑ってしまった。

 たったこれだけのやり取りなのに、あの日のぎこちなさが少しずつ溶けていく。


 =望遠鏡って、重いんですか?=

 =僕のはそこまでじゃないです。でも三脚は安定させないと結構揺れます=


 「…………」


 画面を閉じるころには、心が軽くなっていた。