―オリオン―
僕は難病で、生まれてからのほとんどを、この白い壁と天井の下で過ごしてきた。
外に出られるのは検査や治療のときくらいで、それもほんの数十分。だから、窓から見える景色が、
僕にとっての「外の世界」そのものだ。
昼間は、すぐ近くの高校の校庭が見える。体育の授業で走る生徒たち、遠くから聞こえてくる笛の音、風に乗って届く笑い声。
僕の知らない物語が、あのグラウンドの向こうで毎日くり返されている。
それを眺めながら、ほんの少し胸がざわめくこともあれば、何も感じない日もある。長い時間を繰り返すうちに、
感情は静かに沈殿していった。
けれど、夜になると世界は変わる。
看護師さんが見回りを終え、廊下が静まりかえる頃、僕はベッドのそばに置いた三脚をゆっくり立てる。
小学生の頃に誕生日プレゼントとして買ってもらった望遠鏡。冷たい金属の感触、ネジを締めるときの微かなきしみ音……
全部が僕の宝物だ。
接眼レンズを覗くと、そこには病室にはない広さと深さが広がっている。
無数の光が、遠い、遠い場所で瞬いている。名前を知っている星もあれば、知らない星もある。それらは決して僕を拒まず、
ただそこにいて、静かに輝き続けている。
僕はパソコンを開き、その夜見た星の位置や色、輪郭の見かけを記録してSNSに投稿する。
フォロワーはいない。もちろん反応する人はいない。
でもそれでいい。僕は誰かの為じゃなくて、自分が知りたいから、見たいからしているだけだから。
その夜も、いつも通り投稿してから眠りについた。
翌日、昼過ぎにパソコンを開くと――見慣れない通知が目に入った。
送り主は《迷い猫》という名前。
短いけれど、そこにはこう書かれていた。
=オリオンさんが毎日ちゃんと星のことをあげるの、凄いと思います=
「…………」
驚いた。
僕の観測記録を、誰かがちゃんと読んでくれていたなんて。
「…………」
返信した方がいいのか、黙ったままがいいのか、少し迷った末に、キーボードに指を置く。
「好きなことをしているだけなので、たいしたことはないです」
余計な事は書かず、打った文字はそれだけ。
迷いながらも僕は送信ボタンを押した。



