「悪い、今日委員会あるから、先帰っといてくれ」

放課後のHRで、マサキが鞄を肩に掛けながら言った。
「今日も1人かぁ」「あと数日は仕方ない!じゃ、あとでな」
そう言って出ていく背中を見送りながら、私は小さくため息をついた。

(……なんか、頼れる人がいなくなると心細いな)



廊下に出ると、すぐに視線を感じた。
「イナちゃん、昨日のネット見たよ!」「次も動画撮らせて!」
数人が取り囲み、スマホを構える。

「ここの所毎日だよ‥」
笑ってかわそうとしたけど、全然引いてくれない。

そのとき、松岡がにやりと笑って言った。
「なあイナ、今度は2人で動画とろう!」

スマホを突きつけられた瞬間、背筋が凍った。
後輩たちまで「イナ先輩〜!」と追いかけてきて、
気づけば私は半泣きで廊下を走っていた。

(怖い……助けて……!)



「——イナ、こっちだ」

静かな声に振り返ると、白衣を着た倉田先生が廊下の端に立っていた。
「早く」

有無を言わせぬ調子で肩を押され、理科室に滑り込む。
ドアが閉まった瞬間、追いかけてきたざわめきが一気に遠のいた。

「……大丈夫か」
低い声が胸に響いた。

息が荒くて答えられずにいると、倉田先生は棚からペットボトルの水を取り出し、差し出してくれた。
「無理に笑わなくていい。……怖かったろう」

その一言で、張り詰めていたものがぷつりと切れた。
涙が頬を伝い、私は小さくうなずいた。

「……はい」

先生は白衣のポケットからハンカチを出して机に置いた。
「しばらくここにいろ。俺が廊下を見張っておく」

(……なんでだろう。すごく安心する)

先生って、もっと遠い存在だと思ってた。
でも今は——すごく近くて、頼もしかった。



帰り道。

昇降口で待っていたマサキが、すぐに駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫だったか?」

「うん! 倉田先生が助けてくれたの!」
思わず笑顔で答えると、マサキの表情が少し曇った。

「……倉田先生が?」

「そう!すごい紳士でさ、理科室に隠してくれて!」

無邪気に報告する私とは対照的に、マサキは黙ったまま前を歩き出す。
その背中は、どこか不機嫌そうに見えた。

(え……なんで?怒ってる?)

でも、理由がわからなかった。



胸元の艶ぼくろが、じんわり熱を帯びていた。
まるで、運命がまた一歩、揺れ動き出したみたいに。