ルーチェはここ最近、不満という感情を知るようになった。
なぜ今になってはっきりするようになったのかと言うと、これまでのルーチェはそういった感情を抱く前に、仕方のないことだと自分に言い聞かせて終わりにしていたからだ。
だが、ここ最近は──。
晴れの日も雨の日も嵐の日も執務室と私室の往復ばかりしているヴィルジールに、不満というものを抱いている。
(──全く、ヴィルジールさまったら)
とある日の昼下がり。国一番のお針子に注文していた衣装が届いたので、ルーチェは衣装合わせをしていた。注文していた品物は、結婚式で着る純白のウェディングドレスと、戴冠式で着る青色のドレスだ。
過去に皇后が着たドレスが何十着も綺麗に残っている為、経費削減の為にも新たに作るのは遠慮したが、一生に一度だからとヴィルジールに押し切られてしまった。
彼の申し出をありがたく受け入れたルーチェは、エヴァンが紹介してくれたデザイナーを城に招いて、素敵なドレスをデザインしてもらい、晴れて形になったものが今日届いたわけなのだが。
「──なんて素敵なのでしょう。陛下と並んだ姿を見られる日が、待ち遠しいですわ」
禁色である青色のドレスを着たルーチェを見て、デザイナーの女性が感嘆のため息を漏らす。このドレスは戴冠式のために作らせたドレスで、当日ヴィルジールが着る礼服とお揃いのデザインになっているのだ。
ルーチェはヴィルジールと一緒に衣装合わせをして、お互いに感想を言ったりなどしたかったのだが──。
「陛下は本日もお忙しいのですか?」
「はい。声は掛けたのですが、今日も忙しいようで…」
セルカの問いに、ルーチェはしょんぼりしながら答えた。
皇帝であるヴィルジールが多忙なのは、今に始まったことではない。即位から十年、彼が縁談そっちのけで仕事に打ち込んできているのは誰もが知っていることだ。
だが、同じ屋根の下で暮らしているのに、会って話ができるのは朝食の時くらいなのだ。
今朝も今日はデザイナーが来るから一緒に衣装合わせをしないかと誘ったルーチェに、ヴィルジールは忙しいから無理だと返してきた。
彼の婚約者となってから、早半月。何よりも大事にされている自覚はあるが、もう少し一緒に過ごす時間が欲しいと思うルーチェであった。
「……でしたら、執務室に突撃しては如何でしょう」
セルカからの思いがけない提案に、ルーチェは目を瞬く。
「それはご迷惑になるのでは……?」
「お茶のついでにすればよろしいのです」
「でも、お邪魔になってしまうのでは……」
「それは絶対にあり得ません。では私は厨房に声をかけてきますので、着替え終えたら参りましょうか」
セルカの有無を言わせない笑顔に押され、ルーチェはつい頷いてしまった。
会いたい。けれど邪魔はしたくない。ならばどうしたら良いのだろうか。いくら考えても、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
式典用のドレスから普段着のデイドレスへと着替えたルーチェは、厨房から戻ってきたセルカと共に執務室へ向かったのだった。
執務室の前にはアスランが立っていた。騎士団の副長でありヴィルジールの専属護衛でもあるアスランが見張り番だなんて、珍しいこともあるものだ。
アスランはルーチェが歩いてきていることに気づくと、ギョッとした顔をした。
「……アスランさん?」
「何だ」
「何だって…ヴィルジールさまの真似ですか?」
「そうだ! ジルの真似がしたくてだな、その…」
アスランはもごもごと喋りながら、執務室の扉とルーチェを見ては顔を忙しくさせている。さては執務室にお客様でも来ているのだろうか。
「ヴィルジールさまにお会いしたいのですが、今はお忙しいでしょうか?」
「ああ! 来客中だから後にしてくれ」
「どなたがいらしているのですか?」
ルーチェがこてんと首を傾げたその時、執務室の扉が蹴破る勢いで開かれた。慌ててアスランが締め返そうとしていたが、扉の向こうから出てきた長い足に蹴り飛ばされている。
「いっ……」
「あーらアスランじゃない。やだわ廊下で蹲っちゃって、相変わらず品がないのねぇ」
執務室から出てきたのは、低くて艶やかな声をした美しい人だった。紫がかったシルバの髪は緩く巻かれ、口元には真っ赤なリップが、すらりと長い足の先には踵の高いハイヒールが光沢を放っている。
(……来客って、女の方?)
ルーチェは突然目の前に現れた迫力のある美人を見て、目をぱちぱちと瞬かせた。そこへ、客人の後に続いて、ヴィルジールが執務室から出てくる。
ヴィルジールはルーチェがいることにすぐに気づき、少しだけ目元を和らげながら近づいてきたが──それを阻むように、超がつくほど派手な客人がヴィルジールの前に立ちはだかった。
「ねぇねぇ、陛下。この子が例の婚約者?」
「そうだが」
「へぇ、可愛いじゃない。こういう子が好みだったんだ」
「……邪魔だ。そこを退け」
客人は「ふうん」と意味ありげな笑みを浮かべると、ヴィルジールの肩に腕を回した。そして、ルーチェに見せつけるかのようにヴィルジールの頬に手を添えると、赤い唇を薄らと開く。
「初めまして、婚約者ちゃん。アタシはローリエ。陛下のハジメテの相手よ」
「…………」
ルーチェは唇を開きかけたまま固まった。
ハジメテの相手とは、何だろうか。
なぜ今になってはっきりするようになったのかと言うと、これまでのルーチェはそういった感情を抱く前に、仕方のないことだと自分に言い聞かせて終わりにしていたからだ。
だが、ここ最近は──。
晴れの日も雨の日も嵐の日も執務室と私室の往復ばかりしているヴィルジールに、不満というものを抱いている。
(──全く、ヴィルジールさまったら)
とある日の昼下がり。国一番のお針子に注文していた衣装が届いたので、ルーチェは衣装合わせをしていた。注文していた品物は、結婚式で着る純白のウェディングドレスと、戴冠式で着る青色のドレスだ。
過去に皇后が着たドレスが何十着も綺麗に残っている為、経費削減の為にも新たに作るのは遠慮したが、一生に一度だからとヴィルジールに押し切られてしまった。
彼の申し出をありがたく受け入れたルーチェは、エヴァンが紹介してくれたデザイナーを城に招いて、素敵なドレスをデザインしてもらい、晴れて形になったものが今日届いたわけなのだが。
「──なんて素敵なのでしょう。陛下と並んだ姿を見られる日が、待ち遠しいですわ」
禁色である青色のドレスを着たルーチェを見て、デザイナーの女性が感嘆のため息を漏らす。このドレスは戴冠式のために作らせたドレスで、当日ヴィルジールが着る礼服とお揃いのデザインになっているのだ。
ルーチェはヴィルジールと一緒に衣装合わせをして、お互いに感想を言ったりなどしたかったのだが──。
「陛下は本日もお忙しいのですか?」
「はい。声は掛けたのですが、今日も忙しいようで…」
セルカの問いに、ルーチェはしょんぼりしながら答えた。
皇帝であるヴィルジールが多忙なのは、今に始まったことではない。即位から十年、彼が縁談そっちのけで仕事に打ち込んできているのは誰もが知っていることだ。
だが、同じ屋根の下で暮らしているのに、会って話ができるのは朝食の時くらいなのだ。
今朝も今日はデザイナーが来るから一緒に衣装合わせをしないかと誘ったルーチェに、ヴィルジールは忙しいから無理だと返してきた。
彼の婚約者となってから、早半月。何よりも大事にされている自覚はあるが、もう少し一緒に過ごす時間が欲しいと思うルーチェであった。
「……でしたら、執務室に突撃しては如何でしょう」
セルカからの思いがけない提案に、ルーチェは目を瞬く。
「それはご迷惑になるのでは……?」
「お茶のついでにすればよろしいのです」
「でも、お邪魔になってしまうのでは……」
「それは絶対にあり得ません。では私は厨房に声をかけてきますので、着替え終えたら参りましょうか」
セルカの有無を言わせない笑顔に押され、ルーチェはつい頷いてしまった。
会いたい。けれど邪魔はしたくない。ならばどうしたら良いのだろうか。いくら考えても、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
式典用のドレスから普段着のデイドレスへと着替えたルーチェは、厨房から戻ってきたセルカと共に執務室へ向かったのだった。
執務室の前にはアスランが立っていた。騎士団の副長でありヴィルジールの専属護衛でもあるアスランが見張り番だなんて、珍しいこともあるものだ。
アスランはルーチェが歩いてきていることに気づくと、ギョッとした顔をした。
「……アスランさん?」
「何だ」
「何だって…ヴィルジールさまの真似ですか?」
「そうだ! ジルの真似がしたくてだな、その…」
アスランはもごもごと喋りながら、執務室の扉とルーチェを見ては顔を忙しくさせている。さては執務室にお客様でも来ているのだろうか。
「ヴィルジールさまにお会いしたいのですが、今はお忙しいでしょうか?」
「ああ! 来客中だから後にしてくれ」
「どなたがいらしているのですか?」
ルーチェがこてんと首を傾げたその時、執務室の扉が蹴破る勢いで開かれた。慌ててアスランが締め返そうとしていたが、扉の向こうから出てきた長い足に蹴り飛ばされている。
「いっ……」
「あーらアスランじゃない。やだわ廊下で蹲っちゃって、相変わらず品がないのねぇ」
執務室から出てきたのは、低くて艶やかな声をした美しい人だった。紫がかったシルバの髪は緩く巻かれ、口元には真っ赤なリップが、すらりと長い足の先には踵の高いハイヒールが光沢を放っている。
(……来客って、女の方?)
ルーチェは突然目の前に現れた迫力のある美人を見て、目をぱちぱちと瞬かせた。そこへ、客人の後に続いて、ヴィルジールが執務室から出てくる。
ヴィルジールはルーチェがいることにすぐに気づき、少しだけ目元を和らげながら近づいてきたが──それを阻むように、超がつくほど派手な客人がヴィルジールの前に立ちはだかった。
「ねぇねぇ、陛下。この子が例の婚約者?」
「そうだが」
「へぇ、可愛いじゃない。こういう子が好みだったんだ」
「……邪魔だ。そこを退け」
客人は「ふうん」と意味ありげな笑みを浮かべると、ヴィルジールの肩に腕を回した。そして、ルーチェに見せつけるかのようにヴィルジールの頬に手を添えると、赤い唇を薄らと開く。
「初めまして、婚約者ちゃん。アタシはローリエ。陛下のハジメテの相手よ」
「…………」
ルーチェは唇を開きかけたまま固まった。
ハジメテの相手とは、何だろうか。


