オールヴェニス公爵夫妻に挨拶をしたルーチェの前に現れたのは、相も変わらずド派手な衣装を着ているローリエだった。彼はヴィルジールの友人であり、東の国境を守るハルメルス辺境伯の嫡男だ。

 女装が趣味であるローリエは、首都を訪れるとドレスを着ていることが多いが、今宵は赤色の礼服を着ていた。耳だけでなく、首や手にも煌びやかな装飾品を着けており、見ているだけで目がチカチカしそうである。

「ローリエさん……! お久しぶりですね」

「中々遊びに行けなくてごめんなさいねぇ。近頃忙しくって」

 ローリエはするりとルーチェの手を取ると、慣れたように手の甲に口づけを落とした。

「おいローリエ。お前はまた無断でそういうことを……!」

「そういうことって何よぉ。浮いた話一つないアンタに言われたくないわ、朴念仁のアスラン」

「何だと……?!」

 マイペースを極めているローリエと、生真面目で堅物なアスランは、子供の頃から顔を合わせるたびによく喧嘩をしていた。それは大人になった今でも変わらないようで、アスランはすぐにルーチェをローリエから離し、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「聞いた話じゃ、まーた婚約が破談になったそうじゃない。これで何人目かしらぁ?」

「破談になったんじゃない! 破談にしたんだ!」

「ふふ、結局破談じゃない」

 ぐぬぬ、と苦い顔をしているアスランに、ローリエは高らかに笑いかける。そんなふたりを止めるべく進み出たのは、眉目秀麗な貴公子姿のセルカだった。

「──お二人とも、皇后陛下の御前ですよ。喧嘩は外でやってください」

「アスランのせいで怒られちゃったじゃないの」

「お前のせいだろう、ローリエ!」

 アスランは腕を組みながらフンとそっぽを向く。
 ローリエは軽く肩を竦めると、すぐにいつもの艶やかな微笑みを浮かべ、苦笑しているルーチェに向き直った。

「今日は一段と可愛いわね、ルーチェちゃん」

「ありがとうございます」

「陛下じゃなくて申し訳ないけど、今宵貴女と一曲目に踊る栄誉はアタシが頂いてもいいかしら?」

 ルーチェは笑って頷いた。ヴィルジールと社交ダンスの指導を請け負っているレオン以外の人とは踊ったことがないルーチェにとって、ローリエからの誘いは新鮮だった。

「私、下手なのですが……」

「気にしなくていいわよお。何か起きそうになったら、アタシの素晴らしいパフォーマンスで誤魔化すから任せなさい!」

 どんなパフォーマンスだろう、とアスランとセルカは首を傾げていたが、ルーチェは気にしていないようだった。


 ルーチェがローリエにエスコートされながら、ホールの中央へと進んでいく。そこにはパートナーと手を取り合う男女が集まっており、間もなく演奏が始まるのか、楽団が音の出を確かめるために弦を弾いていた。

 その姿を遠くから観察していたエヴァンはガッツポーズを、ライタスは感心したように頷いていた。

「──なるほど、あのハルメルス辺境伯の御子息が一曲目のお相手なのですね」

「ええ、作戦通りです。あのローリエに近づける男なんて、そうそういませんからね」

 エヴァンはひとつふたつと指を折りながら何かを数えたのち、四人くらいでしょうか、と笑う。数えていたのは、ローリエと渡り合える強者の人数のようだ。

「ローリエ様が只者でないのは分かりましたが、二曲目以降はどうなされるので……?」

 エヴァンは顎に手を当て、不敵に微笑む。

「まあ見ていてください。我らが陛下を出すのが一番早いですが、それではつまらな──ご、ごほん。事は穏便に済ませたいですからね」

「は、はあ……」

 一曲目のダンスが終わる。拍手が巻き起こる中、ローリエとのダンスで目を回しているルーチェにアレクスが近づこうとしているのが見えたが、またある者がそれを阻むように現れた。

「──帝国の月にご挨拶申し上げます」

 一曲目を終え、セルカから飲み物が入ったグラスを受け取ったルーチェの前に現れたのは、ヴィルジールの実弟であるセシルだった。

 首都からかなり離れている領地を治めているはずのセシルが、何故舞踏会にいるのだろうか。

「セシル様……!」

 驚くルーチェに、セシルは優雅に微笑みかける。

「ふふ、驚かれましたか? 実はオールヴェニス公爵は私の先生でして、子供の頃によくお世話になっていたのです」

「まあ、そうなのですね。それでご参加を?」

「ええ。本日デビュタントを迎えられたご令嬢のファーストダンスのお相手をさせていただきました」

 皇族であるセシルがファーストダンスのお相手とは、世の少女たちが聞いたら泣いて羨ましがることだろう。

 セシルは氷帝と恐れられているヴィルジールの弟だが、兄とは違い穏やかで柔らかく、女性たちからの人気も高いのだ。

「次は私と踊っていただけますか?」

 セシルから差し出された手に、ルーチェは躊躇う事なく手を重ねた。