ささやかで、確かな夢みたいな時間。

 その日々を私は、心の底から愛してしまっていた。

 でも、それはきっと、夏の魔法。

 冷たいアイスラテの氷が溶けるように、やがて終わってしまうことも、ちゃんと分かってた。

 そしてその日は少しずつ近づいてきた。




 アパートの階段を上がる途中、ちょうど掃除をしていた大家さんに会った。

 腰をかがめながら、いつものように柔らかく笑う。

 「あら、美緒さん。昨日の手紙、ちゃんと読めた?」

 手紙? 思わず足を止めた。

 「ほら、階段のとこに落ちてたのよ。封筒もなかったけど、紙の端っこにあなたの名前が書いてあった気がして。

 だから、気をきかせてポストに入れといたの」

 一瞬、言葉が喉の奥に引っかかった。

 あの紙が、どうして私の手元に届いたのか。

 答えがわかってしまったとたん、胸の奥がすうっと冷えた。

 「あ‥‥そうだったんですね。ありがとうございます」

 笑顔を返したつもりだったけれど、たぶん少し引きつっていた。

 それでも大家さんは、気づかないふりで、ほうきを動かし始めた。

 やっぱり、あれは『美緒』宛てであって、私宛てではないものが、偶然、私のとこに届いたんだ。




 それを知ってしまってから、彼の優しさが少しだけ苦しくなった。

 それでも会いに行くのは、終わらせる勇気より、もう少しだけ一緒にいたい気持ちのほうが強かったから。

 彼は私が『美緒』ではない事を知っているのか分からない。




 あと少しだけ‥‥。

 そう思う私の願いは、夏とともに終わる。