「今年も来ました」

 私も微笑み返した。

 「ここのほろ苦いカフェラテが好きなの‥‥覚えててくれて嬉しい」

 途中で何か言われたら、このお芝居はそれでおしまい。

 「忘れるわけないだろ」

 彼はテーブルにあった取手のついたベルを揺らした。

 店員‥‥店長?は、白髪交じりの年配の男性。彼がオーダーする言葉に頷いて、頭を下げて奥へと歩いていった。

 彼の席の正面に座る。

 テーブルの木目が、まぶしいくらい鮮やかだった。

 目の前の彼の顔は、まっすぐで、どこか懐かしいような、でもまったく知らない誰かの面影。

 不思議だった。

 彼と目を合わせていると、自分を忘れてしまいそうになる。

 私の知らない真柴美緒になってしまいそうな感覚。

 そしてその感覚が、怖いくらいに心地よかった。

 彼も私をその美緒だと思いこんでる。 

 それならそれでも構わない。
 
 今、ここにいる私は、彼の知る美緒なのだ。

 「変わってないね」
 
 彼が言った。

 その言葉が私を刺して、そして同時に、なだめてくる。

 私は、静かにうなずいた。

 「美緒はこの席、覚えてたんだ」

 「うん。忘れるわけ、ないよね」

 「君、いつも海の方ばっかり見てて、話、半分くらいしか聞いてなかった」

 彼がそう言って、少し笑った。

 私は、なにも知らない。

 でも、たぶんそのときの「美緒」がそうだったんだと思う。

 だから私は、笑って頷いた。